以前は料理をするときに砂時計を使っていた。
スパケティの麺やジャガイモ・野菜なんかを茹でるときには、タイマーがピピっと教えてくれるのも便利だ。
魚を焼く時には網をよく焼いてから乗せる。私の場合は身から焼く。六分くらい身を焼いてからひっくり返して皮の側を焼く。「海魚はは身から焼くんだよ」と母親に教わったのは小学何年生のころだったろうか。遠火のやや強火。
ちなみに網はスノコ状のものが良い。万が一魚がくっついてしまったときに菜箸で剥しやすい。焼肉やお餅を焼くときの碁盤の目のような網は魚焼きには向かない。貧乏人にはお餅を、殿様には魚を焼いてもらうといい、そんな諺(ことわざ)がある。ちょこちょこ頻繁にひっくり返すのはお餅を焼く時には良いが、魚を焼くときには片面ずつゆっくりじっくり焼く、という意味だ。だから魚を焼く時には殿様気分で焼くことが大切だ。お腹が減っていても焦ってはいけない。そう築地料亭の板前も言っている。
砂時計をひっくり返す。このときから時間が始まる。火力を調節する。魚の身はまだ寝ている。うんともすんともいわない。
この間に別のことをする。皿を用意したり箸やご飯茶わんを出したり醤油差しをお膳に置いたり、漬物を切ってみたり味噌汁の出汁をとったりする。でもたまには焼き網に横たわった魚の身にずっとつきっきりでお世話をすると、そういうときの魚の味はなんだか気持ち美味しい。
こういう「つきっきり」で魚を焼くときには砂時計を使う。デジタルタイマーは数字で時間を測るけど砂時計はビジュアルだ。上の方の砂ががアリジゴクみたいに細い一点の穴から落ちていくと、下では鍾乳洞の床みたいに砂が山をつくって、その頂点角度は変らない。不思議な光景を目にすることができる。
そうしているうちに最初の合図を魚の身が教えてくれる。音と煙と炎で知らせてくれるというわけだ。線香花火の弾ける音に似てる。魚君、生まれてきてくれてありがとう。君がいなけりゃ僕は生きてゆけない、この先希望もない。君の命を無駄なく美味しくきっちりと食べさせてイタダキマス。なむアーメン・・・。
大体うちでは十分くらいで焼ける。十分つきっきりで魚の身と砂時計を見比べている状態だ。タイマーまかせもいいけど一度くらい魚に付き合ってあげても損はない。


余さず残さず食する 旅立っていく 撮影:2007年自宅にて
さておき、十分といわず一分という時間を長いと感じるときと、短いと感じるときがある。でも、一分は一分で同じ。人生は一分一秒の積み重ねだ。
先日駅のホームでエレベーターに乗ろうと待っていたら、一度に乗れずに先を譲って頂いた。有り難い、遠慮なく乗った。そのときに、頭の中で砂時計をひっくり返してみた。私が改札階で降りてエレベーターが再びホーム階に戻るまでの時間は、体感砂時計によれば約一分だった。その一分を長いと感じるか短いと感じるか、誰かに譲ったり誰かから譲られたりする互いに有り難い世の中を、その一分で創れるということでもあると思った。
高齢化した社会でなくとも、いまこの国は速度超過しているように思えてならないのだがどうだろう。
*挿入画像のハリウッド的表現を映画「ダーク・シャドウDark Shadows」で見ることができる。女優エヴァ・グレンは大好きな女優のひとりだ。
*お料理メモ
美味しいお料理を作るには、ます包丁を砥ぎましょう。陶器茶碗や皿の裏(高台)でシャカシャカやると一時的に切れるようになります。砥石を買ってきてきちんと砥ぎましょう。包丁が切れると料理も楽しくなります。