江戸の終焉で幕府に雇われていた「絵師」が職を失い、絵画が学校で教えられることになり、絵師は絵画の教員になった。というのはこの展示のチラシを見るまで知らなかった。狩野派というそれまでのいわゆる日本画のひとつの流派が、現在の絵画芸術教育に影響を及ぼしているということも。
絵師が絵画講師になり、時代の流れと共に西洋絵画と混じり合っていく。そのひとつの過程をこの展覧会では観ることができる。同時に日本家屋と庭園が切り離せないということも、邸宅見学で邸宅から眺める庭園から肌で感じることができる。


遠山邸からの帰り道、川越(埼玉県川越市)の古い家屋が立ち並ぶ商店街を小一時間散歩した。観光バスで訪れる人々で賑わっている。


とある呉服屋のガラス越しに、小粋な柄の反物が飾られていて私の足をひき止めた。それはあまりみたことのない柄で、しばらく眺めていたがほかの柄もあるのかしら。そう思い店に入った。
古い造りのその店の入り口の前に立つと戸が開いて招き入れてくれる。少し観て行っていいですか。尋ねた私に店の女将は、どうぞと愛想よく答えてくれた。縞や格子柄の反物が角の棚に並んでいた。当時、川越に集まった織物がここから東京や横浜に送られていたということだ。
縞の合羽に三度笠・・・というのは何も東海道のヤクザの装束というだけではない。そういえば時代劇などでも縞模様というのは高貴なお方が着る柄ではないようだ。縞の柄が柄ということ以外に、当時はいったいなにを表わすのか。
柄だけでなく着物には「着こなし」というのがある。旅館の寝間着が朝起きたときには肌けてしまっているようなのは着こなしとはいえず、襟や袖そして裾を着付けによって着こなすのだから、それを観る方にも見分ける目が要求される。かといって、じろじろ見れば怪しい人と勘違いされるのだから美しい女性の和装を見るのも楽ではない。
町奉行遠山の金さんは懐かしい時代劇だが、奉行職としての着物と金さんのときの着物とでは、立ち居振る舞いから着物の柄や着付け方も違う。これから着物を着る時には時代劇を観て着付けを覚えるのもいいだろう。時代考証しない時代劇やアニメは見劣りするような気がする。古着をたずね新しきをしるのもいいのかもしれない。シャレになる。
唐桟(とうぜん)という反物生地を眺めながらそんなことを考えていた。
「この縞柄は粋ですよね」と私。釈迦に説法だ。
女将は控えめに言ったのか、
「そんな高級なものではなく木綿ですから気軽な着物なんです」そう教えてくれた。
あの縞柄を粋に着こなして歩く、うなじが綺麗で粋な仕草の女性がそぞろ歩く姿をついつい妄想してしまう。この店お並びには着物を貸して着付けもしてくれる店もあり、華やかに着物を着た女性たちがちらほら歩いている。古い日本の建築物が立ち並ぶ通りにはやはり着物のそぞろ歩きが似合うようだ。
この目抜き通りの一本奥にある商店街も見逃せないのだが今回は時間がなく断念。また行く日までのお楽しみだ。
夕方になって風が変わった。都市部と違って抜けるように空の広いこのあたりは、風の変わり目がはっきりとわかる。見あげるとさっきまで晴れていた空に、雨雲が棚引いて流れてくる。それでも帰りの切符を買うまでのあいだ、なんとか持ちこたえてくれた。

参考