さっきのゆめ
先生はあいつと戦っても勝てない、うまく付き合うことだと仰ったけれど、勝てないのは分かってるんだけど、お付き合いが下手な人はどうすればいいんでしょう?
普通の人に普通に流れる時間が、そうではないようです。
抽象的なことしか言えません。
だって俺は先生ではないし、でももし具体的に言えたとして
それを言った途端に、確定してしまうようで、躊躇してしまいます。
「言う」という行為って、キーボードのenterを押すことに似ている気がします。
でも言葉は消せないから。
アドバイスというか
取っ掛かりを
「言葉」でくださいませんか。
投稿日 2007/09/02 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)
鬱が酷いときには家の外に出るとすべての人の言葉に「悪意」を感じた。悪意など持っていない人の言葉にもそうだった。悪意を持っている人には突き落とされる気分がして、悪意を持っていない人から悪意を感じてしまう自分を責めた。そういう悪循環が何年も続くとそういう自分が嫌いになってしまう。
あるときいきなり躁にジャンプした。それまで鬱屈として心の中に溜まってこびりついていた膿のようなものが破裂したようだった。
鬱の十数年間では「なぜ辛いのか」と自分の内側にずっと問いかけていたが埒はあかなかった。躁に飛んだときに、問いかけが外に向かった。それはいまでも躁と鬱を短時間に繰り返し、その大小の波を含んだ躁鬱が長時間で繰り返しているようだ。
躁状態の場合、自覚がない。鬱のときには自分が重すぎる。だから少し鬱気味の方が私にはいいのだが、躁が出そうなときには自転車に乗り遠出する。(最近は無茶せずほぼ安全運転)
長い鬱病は運動不足になる。本当に体を動かすことが億劫だった。ランニングやストレッチなどで動いて汗をたくさんかくことが私にはとても必要で大切だったと今思い返すとそう思う。
当時(40年くらい前)に鬱病というのは世間に認知されていなかった。でも今なら、黙って聞いてくれるだけの誰かがもしいたら、その人に心情を吐露するだけで多くの鬱病患者は気持ちが少し晴れるような気がする。精神薬では治らないと私は思う。
2025 10/31

				