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メロンパンの一日

メロンパンの一日

気がつくと背中を丸め、うつむいて歩いている。
誰にでもそういうことってあるのだろう。いつの間にか胸がささくれ立ってしまうことが。


晴れて暖かな午後、保育園児たちの散歩に出会った。
色とりどりの帽子をかぶって、先生と手を繋ぎ、小さな足取りで、ゆっくりと歩いていた。
楽しそうにしきりになにかを先生に話しかけている子、不安そうに辺りを見回している子、
明るい日差しを浴びて輝いた顔はみな、紅いほっぺをして、その目は無垢、透き通っている。
立ち止まって見ているだけで、心洗われ暖かく穏やかになった自分がいた。
子供たちから放たれるささやかななにかに、いつの間にか優しい気持ちになっている自分がいた。
この子たちだけでなく、世界中すべての子供は僕たちの宝物。なにものにも代えがたい。
そう、これがひとつの真実。


「メロンパンの一日」 http://melon.ctime.jp/
この作品は小さな子供たちのために作られた絵本。けれど、大人にも見て感じて欲しい。
あなたを優しくつつんでくれるはず。
是非、ご一読あれ。

投稿日 2008/01/19 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

 いつごろからだったろうか。実はある時期まで私は子供が大嫌いだった。

 ということは自分が子供だったから、子供を同類として認識していたからなんだろうか

 うるさいし、せわしないし、乱暴だし、疲れ知らず、しつこくするし、付き合い方がわからない。

 ある時期を除き私が末っ子だったのも理由のひとつかもしれない。(末っ子というのは兄弟に付き合ってもらうばかりで自分から相手に付き合うことを知らない)

 それでも姉や兄に子が生まれて自然と慣れた。ぶっちゃけ言えば、身内の子ができて初めて子供が可愛いと思った。自分に子ができれば尚更だ。

 恥ずかしながら、自分に子が出来て初めて何かを考えることをするようになった。そうしたら色々な物事に興味が湧いた。選挙投票に初めて行ったのも子が生まれたことがきっかけとなった。自分に何ができるのか、できないのか。守るべきものを守り変えるべきを変えるにはどうすればいいのか。手探りなのだから間違えることも多くあったしこれからもあるだろうと思う。

 間違うことを怖がって何もしないでいるのは、結局現状維持にしかならない。間違ったら素直にごめんなさいをできないのはこの国の悪い癖だ。それが私たちの身にも浸みついてしまっている。その当時(2006~2008くらいまで)の間違いもここには反映されている。

 その昔10年ひと昔といったが、それが3年・1年となっているいま、現状維持は後退でしかない。逆に子を持った30年くらい前と今を比べたら変えるべきことが何も変わっていないことに気づく。自分の子だけを守ろうとしても蹴落とし競争にしからなない。子ではなく子供たちをどう守るのか。

 その甥や姪もずいぶん大人になって精神年齢ではもう追い越されてしまった感がある。彼らも子を持つようになっている。2026/01/09

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