あくまでこれは反省として書いていて言い訳するつもりはない。
人は間違える動物だ。
人はいつ死ぬのか分からないのと同様に、間違いもいつ起こるのか分からない。他人が見ていようといなかろうと間違えるときには間違える。
救急車に乗せられたときに、お巡りさんに「信号は何色だった?」と聞かれ、そのとき内心嘘をつこうとした。が「赤」と答えた。病院から帰って考えた。誠実に対応しようと答えを出した(自分に嘘をつきたくない)。誠実に対応するにはどうすればいいのかとそれから考えていた。それをここに書くことが誠実に当たるのか正直わからない。それは読む人の判断にお任せしたい。間違えたときにどう対応するのかは、その人の数値化できない価値なのかもしれない。
そのとき自転車で私は赤信号を突っ切ろうとした。ここで既に二つの間違いがある。
「魔が差す」という言葉がある。それでもいつもなら自動車の導線を横切ることはこれまでしなかったが、あのときはそうしてしまった。
一瞬の狂気が表出した。狂気の表出はバイオレンスや芸術、演劇など様々だが、人は誰もが多かれ少なかれ狂気を持っている。交通事故という形で現れた今回の狂気の表出。赤信号で止まっていたら事故は起こらなかった。
普段の私は青信号でも赤信号でも左右を見て通行する。
ところで歩行者・自転車として通行している場合、信号は止まるためにあるのだろうか。それとも渡るためにあるのだろうか。そもそもなぜ信号が設置されたのか。その理由から知ることが必要なのだろうが、それは道路が整備され自動車の交通量が増えていった時代の私の記憶に関係しているように思う。
事故がは、自分と相手双方の不注意が偶然重なったときに起こりやすい。自分が注意していても相手の不注意とか、自分の不注意を相手の注意により回避されていることも多い。今回のような自分の急な飛び出しでは相手が注意していても避けることができない。青信号で道路を渡っていても左右を見もせずにスマホ歩きしていたらどうだろうか。
自動車には死角というのがある。死角に入ってしまうと運転席から私は見えない。そのことも今回の私の起こした事故の原因のひとつ(かもしれない)。これで三重。
自動車の死角に入らないようにするためには、死角がどこにあるのかを知ることが必要だ。私はそれを知っていたのに間違った。
自分の油断、そして過密化した都市には命の落とし穴がある。
ご迷惑をおかけした運転手さんはじめ関係各所に謝罪します。
本間 達哉

