小学三年生のときだったか、私の家族は横浜と川崎の境目に住んでいた。夕方になって母親の手伝いでカレーの具をガスレンジの火にかけて炒めていた。ある程度炒まれば、もう一つのレンジに掛けた鍋の湯にフライパンから放り込む。
火を扱うときに親から教わったことは、火傷すること、下手をすれば火事になり隣家も巻き添えになる。ということをカレーのように口を辛くして教わった。
と、後ろで「ガシャガシャ」という耳に響く鋭く大きな音がする。
瞬間振り返った私の目に、母が床にしゃがんでつぶやく背中が映った。
「形あるものは必ず壊れる・・・」諸行無常だろうか、老子なんだろうか孝子なんだろうか、哲学的なその背中は哀愁を帯びていた。
カレーライスのはずだった夕食はこのために急遽カレー丼になった。瀬戸物を床に落として割ったときに母がいう言い訳だった。プッ!
基本的に連続しているので、全部を読んでもらえないことには理解してもらうことができない。
とあるギャラリーに雪の降る中向かった。休日なので空いているだろう、ゆっくりと自分を癒すことができるかもしれないと。私にとり良い絵画とは癒しを与えてくれると同時にイマジネーションを与えインスパイアしてくれるもの。今日はどうだろうか。
バスに乗って行った。休日の午後のその時間には空いていたはずのバスは意外と乗客が多く、座席は埋まっていた。でも道路は空いている。このギャップが過密化したこの街の土曜日の特徴なのかもしれない。(不動産バブル化した過去の未来都市の官庁街)
そのギャラリーは空いているどころか映画館でいうなら立ち見状態で、肝心の絵画作品をじっくり鑑賞できる状態ではなかった。
作家は昨年のいまごろの時期に亡くなったということで、この日は絵画展というよりも「偲ぶ会」だった。それでもしかし、絵画作品よりも作家の魂(目で見ることができない)が主役であることに代わりはない。中国語でいうならツァイツェン(再見)ということで早々に私はギャラリーをあとにした。
薄い雪降る横浜の港沿いを歩きながら考えた。
聞けば、この作家は芸大時代に作品を描く際にカンバスを天地無用に描いていたそうだ。それは作家が通った芸大という学舎が、そもそも検閲の場であることを訴える為の学内での見るものへの「暗号化」なのではないのか、と。
検閲の中にいて天才だけが為しうる技でもあるのだろう。ダヴィンチは文字を鏡に映して左右逆に描いた。あれは書いたのではなく描いたと私は解釈している。天才は秀才と違い「意識せず」にソレができる人のことを言うのではないのか。
そういう疑問、イマジンをもたらす作品は優れている。理屈抜きに感じるもの。理屈をこねて芸術を語る者はそのことが理解できない。語り得ない。
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