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変われない人たち

 2011年3月1日という微妙なときにこれを書いた。現在は2026年3月14日(土)で、15年経って随分と考え方も変わった。

 余計な話だけど、カレンダーを見ると今日は「ホワイトデー」と書かれている。俺の若いころには、男性が好きな女性にチョコレートを渡して告白する日。円安や海外からの流通停止による物価高でチョコレートはとてもお値段が高いらしいが、好きな相手に告白するのにチョコなんてのは本来どうでもいいことだ。気持ちを伝える日であってチョコなどどうでもいいはずだ。

 日本の過去の戦争と日の丸と君が代について、下記にはその浅い考えが書かれている。そしてこれを書いたころに、日の丸敬礼や君が代斉唱が学校の入卒業式で義務付けられたり、そういう法律が国会や地方議会を通ったりして関心を引いていた。

 信仰の自由というのがある。それは憲法にも謳われている。

 もし特定の宗教や特定の個人を信仰することを義務付けられたらどうなるだろう。それを拒否すると国賊とされたり投獄されたり、改宗せよと命令されたり、それを拒否すると拷問されたりする世の中をあなたはどう思うだろうか。あるいは既存のどの宗教も信仰しないと言ったりすると弾圧されたりする世の中を。

 日の丸に敬礼し君が代を斉唱しても神聖な気持ちにはならないし、そもそも君が代を斉唱したのは小学校のとき以来経験が無い。日の丸は、旗日(祝祭日「ナントカの日」)に市バスが掲げて走っていたり、近所のスーパーが安売り大入りの為に掲揚していたりする以外は見ることも聴くことも歌うこともない。五輪で金メダルを日本選手が獲得したときくらいのものだろう。

 もしそれを国や県や市といった行政(権力)から強制されたら反乱を起こしたくなる。それはキリスト教のある宗派が、避妊コンドーム着用を拒否しながら堕胎を許さないみたいな人道に外れたことだろう。妊娠して産むか堕胎するかを決めるのは、妊娠した本人個人であるべきだから。

 日の丸君が代が好きな人が全て保守や右翼とは限らないが、なぜか彼らは往々にして「排外主義」だ。そして彼らは天皇を崇拝するのに天皇に土下座はしない。天皇崇拝は自分を人権など無い臣民と認め、天皇を現人神(あらひとがみ)と崇めるということだから、天皇の前では土下座しなけりゃ理屈が通らない。天皇崇拝しながら右翼保守は何故かアメリカ隷従思考だが、天皇は国民の象徴だから、彼ら保守右翼が天皇に土下座するということは、天皇崇拝していないし土下座なんてしない保守右翼以外の人々にも土下座することに理屈上はなる。が、彼らは多分それは嫌なので、憲法を明治の軍国憲法に戻そうと言う。しかし明治憲法のときには日本にアメリカ軍基地は無く、政治的にアメリカの言いなりではなく、経済もアメリカべったりではなかった。保守右翼は人権のない明治憲法に戻したいのなら、どうして米軍基地を国内から排除することを優先しようとしないのか。どうして密約付きの日米地位協定を甘んじて受け入れているのか。

 それとは別に天皇統治論、天皇という存在によって国民の心的統一を図る、みたいな議論は続けていくべきだろう。しかし(特定)宗教と信仰の自由も同時になされないなら意味はなく、単なる国家による洗脳にすぎなくなってしまう。特異点を生身の個人に求めるのは自由や人権や平等にも反する。

 現実として日の丸は世界で知られている日本のマークだが、もちろん別のデザインに替えても問題はない。君が代だって別の曲に替えたって何も問題無いが、国歌は五輪の金メダルのときに流れるくらい、それを政治的イデオロギーで見る人はそもそも「平和の祭典」を見る資格はない。

 日の丸のデザインを替えようと、国歌を君が代以外に替えたところで、替えたその旗と歌の下で戦争したらまた同じことだろう。

 国という何の意味もない「箱」に人間が群れていると考えるのか、尊厳を持った個人の集まりが国であるか、どちらが自分個人や所属集団にとり最良かと考える。各々の前提で統治って何か考える。それらも時代とともに少しずつ変わるものだ。俺が日本人なのは日本で産まれたからであって俺がここを選んで生まれてきたわけではない。好きも嫌もなく日本という国の所属なのだ。

 私利私欲や自己保身ばかりでは尊厳を持つ個人の集団としての国が腐敗し成り立たないということが、2026年現在ではっきりしてきている。税を食い散らかす企業や個人が上層部にいることが格差の原因でもある。税は元手のいらない最大の現金収入だが、その国の上層部にいる人間たちが取り分だけを先に取り、残りを他人のカネ感覚で自己利益の為に大判振る舞いする。世襲のボンボン議員にはそういうことしかできないらしい。

 下段に掲載したものは2011年当時に書いたもので訴えた内容は、今考えると多岐にわたっていて纏まりがなく支離滅裂気味だが、このあと少しずつ整理していこうと思う。考え方の遍歴として、知り得たことから学ぶことで人は変われることを示したいという自己追及の意味もある。

 3・11原発事故から15年、あのときに生まれた子供たちがいま中学校を卒業する年齢だが、彼らはこれまで大人たちの事情で過去に起こった大惨事について教えられていない。そういう大人たちもそのことに気づきだしたようだ。

 巨大地震のあとに巨大津波に襲われ、数日後に原発が爆発し、避難した人とできなかった人がいて、極寒3月の東北で、そういった何段階にも渡って起こったこと、それからこれまでの復興と称する予算の垂れ流しと数回の選挙。そういう流れや繋がりを思い出して、忘れないようにしたい。莫大な費用をかけても依然事故原発は廃炉の目途すら立っていない。

ここからは当時に書いた駄文です。

変われない人たち

2011/03/01 23:44:15

日本における戦争を知らない人口はいかほどなんだろうか?
卒業式が近い。
そのあとは入学式が待っている。
.
桜の季節でもある。
その情景を思い浮かべるとなんだか和なカンジがするのは
俺だけじゃないだろう。
.
小中学校と義務教育でのそういったセレモニーの中で
いつのまにか君が代が仰げば尊しに変わってしまった。
.
随分前に書いたことがある「君が代や日の丸」について。
俺のブログを読んでもらえば分かるとおり、民族主義とか右寄りあるいは左よりな
偏った考え方は持っていない。
けれど、毎日映像で戦争や災害は目に映る。
それをゲーム感覚ではなく実感として自分の痛みとして感じれるような教育がいま必要なのは
誰もが思うところ。
.
いまの子供たちに必要なのは転ばぬ先の杖ではなく、転んでも立ち上がれるよう
転ばせてやる教育だろう。
親がやらないんだから学校でやるしかないだろう。
そういうのを考え教えるのが教師なんじゃないの?

戦争を知らない。経験していないという意味で。
日の丸を前に君が代を歌うと、なんだか神聖な気持ちになる。
オリンピックやワールドカップなんかで日本チームを応援するときだってそうだ。

不幸にうも日の丸に向かい君が代を歌うことに悲しい思い出を持つ方々もいるのだろう。
そういう方々の気持ちを利用して、君が代や日の丸を否定するひとたちがいる。
困ったことに教育者に多い。


*歌の歌詞に問題があるのなら歌詞を替えればいいのだが、問題は国がこれを強制すること。強制に従わされることほど屈辱的なことはなく、強制ほど個人の尊厳を冒されることはない。強制に反対していた教師たちの気持ちがこの当時には理解できなかった。


戦争で勝とうが負けようが、戦争がイケナイことには変わりはない。
いまこの時代に、日の丸を前に国家を斉唱することで教育者なら逆に「二度と戦争を起こさない」とか
「平和を守る」とかいう念を生徒一人ひとりが思い起こすように教育するべきで
それをすることが”あたかも”天皇陛下万歳的なもの全部反対の発想から否定するという論拠は成り立たない。
それこそ旧社会党のお得意とするところの「反対のための反対」でしかないだろう。

教師が個人的な思想を教育の場に持ち込むのを是とするのかという
いたって単純な問題を、さも戦争がどうだから天皇崇拝がどうたらこうたらと
理屈をつけるのは、逆説的に言えば義務付けた教育委員会への同じ批判を
自らが浴びることにならないだろうか。

日教組その他の教職員組合はそういう思想的なものをお願いだから教育現場に持ち込まないで
いただきたい。
お年頃の息子を持つ父親として切に願うばかりだな。
組合活動はほどほどにして、教育者として教育に専念していただきたいものだ。
俺の時代と違い相対評価から絶対評価に変わったのなら、せめて自分の教え子は
最低で3とかいう、教師としての実力を見せて欲しいものだ。
教師に対するそういう絶対評価というのはないのだろうか。

ところで、大学の入試がネットに漏洩して問題になっている。
いずれこうなることは予想されていたにも関わらずなのははやり
教育者の質の低下と言わざるを得ないだろう。
そういったツールは全て持ち込み禁止、コインロッカーなり
一切の電波を遮断するような会場づくりをすればいいだけ。
簡単だ。

マスコミが必死に騒いでいるのは本年度予算から国民の目をはぐらかすためなのだろうかね?
どう考えても通りませんて、こんな予算。

ゆくゆくの消費税UPを見据え大企業(マスコミ含む)有利な法人税減税をして
お約束は反故にする。
予算どころかこの政権自体が国民を裏切った!
そうとしかいえない。

政治主導、税の再分配とかそいういう当初の崇高なモノはどこにいったのよ?
茶番は終わりにして、もう一度やり直したほうが為になるが、もう遅いな。
3分の2は取れないとそう思う。
これが通るようならば、国民は一斉蜂起するよホント。

政権交代は官僚主導の予算を通過させることが目的ではないのだから。

ということで一遍に書いてみましたっと!

変わるかもしれないもの、変えられるかもしれないもの。
http://now.ohah.net/earth/ecology/index1.shtml?soil/1.shtml

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