Club jannmu

治安というか空気の話

 治安というほど大袈裟なことではなく、街に流れる空気のようなものの話。

 戦争が終わったことを終戦と呼ぶ人も敗戦と呼ぶ人もいる。敗戦記念日は9月2日じゃないのか、という人もいる。

 今回はそういう話ではなく、街に流れる空気の話を書いてみたい。

 加害と被害で終わった戦争、敗戦から80年が経過した。ということは戦争経験者(実際に戦地に兵隊として行った人)は、生きていればほぼ100歳になっているということだ。9万5千人くらいいるらしい。

 以前、海外の記事を読んでいてコメントを書いたが、その国は建国以来ずっと戦争に明け暮れているから、戦争から戻った兵士が街にたくさん住んでいる。元兵士同士、街中で俺はアソコに行ったとかいう会話で盛り上がるという場面が映画などでも多い。

 でも、実際そういう人が多く住んでいる街とそうでない街では空気が違ってくるのではないか。そういう問題提起をコメントでは書いた。街の空気は慣れてしまっていて、住人には分かりづらい。住人がそもそも空気を醸成するのだから。

 だから戦争の後遺症は戦争が終結してからも長く続くだろうということだ。実際その国に行ったことはないので、あくまで想像の域をでないが日本の場合、私が幼いころはどうだっただろうかと思い出してみる。

 小学生の頃、休みの日によく遊びにいった神社がある。境内では子供たちが大勢遊んでいて公園みたいな場所だった。滑り台やブランコはないので、靴とりや長うま、ゴム飛びかくれんぼに鬼ごっこ、子供たちは嬉々として遊んでいた。神社の人もいまのように文句など言わなかった。

 そこへときどき現れる人がいる。私はその人に聞いたことがある。「なぜ耳がないの」。その人は「戦争で無くした」と教えてくれた。ぼうず頭の顔の横が平べったくて、両耳が無くそこに穴だけ空いている、子供心にとても不思議な顔立ちに映ったのだ。さぞ痛かったんだろうなと思い、本当ならそういう不思議なものに根掘り葉掘り聞く私だがそれ以上は聞くのをためらった。

 駅前の薄暗い地下道を、手をつないだ母親とデパートに向かって歩いていくと、軍服を着て片足が無く松葉づえをついて物乞いをする人、地面に正座して茶碗を置いて物乞いをする人、ハーモニカを吹く傷痍軍人、地上にでると両手両足がなくリアカーを犬に引かせている人もいた。そういう街には荒れた空気と労り(いたわり)の空気が入り混じっていた。そういう空気は実は子どもたちを守っていたのではないのかと思う。当時子どもたちにむやみに手を出すような大人はいなかった。悪人であってもいなかったような気がする。もちろん人さらいもいたし変態もいたが、そういう空気に阻まれていたと思うのだ。戦争で気がふれた人がいても彼らを責められるだろうか。

 この反対側に「安全便利快適」を求めた戦後日本の「無菌温室社会」がある。それはそれで人を鈍感にし、見て見ぬふりの無関心にしてしまった負の側面がある。障がい者や年寄りを隔離して、「死を遠きものとして隔離」してしまっている。

 このことと、今でも学校で銃を乱射する事件が多発するような国と、その街の空気の違いはいったいなんだろうかと考えたときに、理由もなく(本当は権力者の金もうけ)戦争に行かされて、相手国の兵士を殺し、民間人も巻き添えにして、帰ってくると愛国者とおだてられるが、社会の底辺に追いやられるというような空気が蔓延している街だとするとどうだろうか。

 あのときの日本は「戦争だけは二度と起こしてはイカン!」と、悪徳政治家でさえそう心に刻んでいたが、いまはどうだろう。これと対比したあの国のいまはどうだろう。足るを知らず、なくなれば他国から力づくで奪い取る的なものの考え方はどうなんだろう。

 いま世界中で起こっている外国人排斥感情は簡単にいえば、移民問題ではなく経済問題であり、その責任は各国政府のこれまでの政策にある。政府はその矛先を外国人排斥に向けたがる。そのことを私たちが理解しないのは自分の首を絞めるに等しい。

 ジョンレノンのころのフラワーチャイルド、ウッドストックに集まった当時の若者たちは反戦だったが、もし多くの若者、アメリカ人兵士がベトナムで死亡しなかったらあれだけ大勢が集まり声を挙げていただろうか。そう考えると、いまのあの国の反戦は当時と意味合いが変化してきたように思う。少しずつ空気は変わるということだろう。

 なので私としては「日本は憲法九条を世界に輸出すべきである」という結論になる。憲法九条を輸出しても関税はかからないので、どなたかこの憲法を印刷して外国人に渡してあげてほしいと思う。自民党や霞が関はあたかもこれを「戦争ができない国」という誤った考え方を流布してきたが、戦争しようと思へばいつでもできるのが、戦争が法律を超えた部分なのだ。法治国家であっても法を超えてしまうのが戦争なのだ。そして日本は戦争できないのではなく「戦争はできるがしない」と決めたのが、当時の国民の一致した考え方なのである。戦争は文化の衝突などではなく、支配層の金儲けなのであるのだと当時の傷痍軍人を見て人々は知っていた。

戦争の放棄 

CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR
Article 9.
 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
② In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.[3]

第二章 戦争の放棄
第九条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

そして付け加えるならば、防衛は金儲けではなく、自主防衛専守防衛(それ以外は侵略)であるのだから、島国である日本は、この地の利を活かして守れる。つまり「警察権」だけでいいわけです。

自衛隊は海保及び警察と統合し改組する

イスラエル軍、ハマス偵察と監視のために米国製「犬型ロボット」導入:戦場での4D業務に最適なロボット 交番があっちもこっちも閉鎖されて道を聞くのも厄介でスマホにばかり頼っている。スマホに頼っても土地勘のない人にはどうしようもない。そして犯罪は交通違反も含めて手が回らないらしい。武器を買うのに予算を削られているから日本の警察組織は裏金に頼る。

本当に警察官はそうなりたいのかな?

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