Club jannmu

Angry Hate

*非会員版

 怒りと憎しみの違いは何だろうか?と、去年からの自分に出した宿題はそれなりの答えを出すことができなかった。宿題が残ったままだった。

 昨年のいつごろだったか思い出せないのだが、実は思い出したくもないのだが、意識のねじれとか感情のねじれについて忘れないうちに書いておきたい。

 今日は面倒くさい、ぜったいイヤダ、疲れてるし、という日があった。おさんどんというのは古いけど、早いはなしが晩飯の支度のことなんだ。

 そしてその日、大概の人が食べたことがあるアレを買ってきて食べた。アレだ。アノ、お湯入れるだけで食える奴を。カツオ出汁がとても利いていて舌にはあたかも「美味しい!」と錯覚させる成分がたくさん入りのアレを食ったんだ。ソレはなにもカツオ出汁だけの話ではなく、デミグラソースでも豚骨スープでもボルシチでもブーケガルニであっても同じこと。

 腹が減っていたので汁も全部飲んじまった。そうしたらその直後から・・・

 いつもなら自分でかつお節を欠いて、きちんとダシをとることをいつもしているが、また料理自慢が始まったと、もし読者が感じるとしたら、ここに書いている意味が全くなくなってしまう。そうではなく炭鉱のカナリア的な人体実験として、その結果をお知らせしている。

 そしてアレの汁の成分は、舌に強制的に「美味しい!」と感じさせることが化学的に研究され、その成果として配合されているので、脳みそまで美味しさがビンビンということだ。それとは正反対に、きちんとしたものの味というのはそれほど刺激的なことにはならない。刺激に慣れてしまった舌にはむしろ、平凡で物足りないくらいに素朴な味だ。

 そしてソレを飲み干した後、止まらない。もうノンストップなのだ。ダラダラとまらない。もう唾液が止まらない。口の中にはずっと、甘いとも塩っぱいともいえない味がずっと残留しいる。とても刺激的な後味でもあった。で、唾液が止まらない。

 「塩」「甘」「苦」「渋」・・・古来からの味ならば、言葉になっているだろうが、これは正に現代の味というべきで、文字はいまだ発明されていない。味といっていいのかも私にはわからない。

 不快なほど唾液が出続けるので私は口をすすいだ。水道水ですすいだ。なんどもクチュクチュと口の中をすすいだら、なんとピタっと治ったという驚きの事実。ヤバイだろ。もちろん人それぞれ個人差があるだろう。

 こういうのをアレルギー持ちの私は若いときから経験を重ねてきて、そしてカツオ節を自分で削って出汁を取り、そういう本物の味を追求している、というよりも変なアレルギー症状が出ないように気をつけているというのが現在の日常の食生活でもある。ある意味実験だ。

 普段アレな成分入りのものを殆ど摂取しないようにしていると、たまにアレ入りのものを食べるとどうなるというのが極端に理解できる。当然のことだだが、人それぞれ違う。

 その上で、人はどうしても忘れるし、面倒くさいときもあって、そういうときに同じ失敗を繰り返してしまわないようにしているが、それでもまた繰り返してしまうということを白状することにより、読者の健康と幸せを願っているという、とても大げさに書いてみればそういうことになる。(というか文章にするとどうしても大げさになってしまうが、それほどではない)

 しかもあくる朝、かゆくてかゆくて目が覚めるという最悪の結果になってしまった。しばらく出なかった全身のかゆみが出て、その日はボリボリと体のアッチもコッチもかいいた。

 口を酸っぱくしてしまうのはどうかと思うのだが、もののたとえとして酸っぱくなるほど言うならば、「ちゃんと作ると美味しいよ」というのは、美味しいだけの意味ではなくこのようにイタイ思いやカユイ思いが、「ちゃんと作ることによって解消したという前提」があるわけだ。

 でも、人間の心って難しくてね、「またあいつの料理自慢が始まった」みたいに読まれると、実はアラ不思議、この人体実験の結果を伝えることが逆効果になってしまう。

 「アタシん家は簡単ダシの元買ってきて入れてんのにソレをバカにするの?」みたいな心理だ。

 誰だってきちんと作ったものを食べたいと思っている。でも疲れているやら、忙しいやら、面倒やら、でそうもできない。けどやっぱきちんとしたもの食べるのが理想だと誰もが思っている。でもそれをいうと”場合により”上記のように心理的には逆効果となってしまうことがある。きちんと作ってる者が悪者になってしまうという逆転現象が起きてしまう。

 それが下手をすると憎しみに変化してしまうことがある。気を付けないと。

 理想がカツオ節を欠いて食べるなら、現実が簡単ダシの元でも仕方がない。でもね、理想を手放して、忘れてしまうと(この場合カツオ節欠いて作った味)もう元には戻らない。ダシの元だけでは元には戻らないというややこしいことになってくる。理想を手放し忘れてしまうと、現実は糸の切れた凧同様だ。人間はいつでも簡単便利という幻想に流される、というのは近代以降の歴史が物語っているのだ。

 実はこういった心理は政治や選挙などにも応用されている。私たちはいつの間にかその心理操作によって本来の理想からはぐらかされてしまうことがある。そういうことが、ここずっと続いているということだ。

 きちんとした料理をみんなが作れるくらいの時間と余裕を持てるような世の中になったらいいと私は思う。そんなに大それたことじゃなく当たり前のことのはずだから。そしてそれは私一人でやっても意味がない。

 完全無欠な人間なんていないということだ。

さて、

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