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不条理

2015年、2016年あたりの古い記事を再度掲載していたこともあり、新記事を載せるのに少しあいだが空いてしまいました。是非過去記事もご覧になっていただけたらと思います。

不条理

先日、昭和時代を背景とした2009年に製作された邦画を観た。その中の子役の台詞に、私が幼い頃に親に叱られたときにいつも心の中でつぶやいていた思いと同じ言葉があって驚いた。
映画の子役は小中高と育つ課程で変わっていく。母親とその子の関係性も変化していく。その子が中学生になって母親に言った言葉は、一見世間一般でいわれる「思春期・反抗期」ということなのだろう。

私の場合それは小学生の低学年のときにだった。

その映画を観るまで私には反抗期がなかったと、これまでずっと思い込んでいた。しかしそうではなかったと思い返す。

不条理にもいろいろなものがある。親が子に押しつける不条理。単なる成長課程での、お互いの愛情のすれ違いでは済まされないことも多いようだ。
この手の映画は、いわば(空想の)他人の家庭を覗き見する行為でもあるから、第三者として観ることができても、その問題を判ったつもりでいても、実は自分の家庭で同じようなことが起きていてることに気づかず、通り過ぎてしまうようなことがあるのかもしれない。

圧倒的な腕力差と経済力の違いが親と社会に出る前の子にはある。親の言う「誰に食わしてもらっている」は象徴的だろう。そしてときに子は理不尽を押しつけられる。やがてその理不尽に慣れきってしまうこともある。親も、子に対する理不尽に気づかないことがある。

屈辱的に受ける理不尽に対して抵抗し続けることは難しいことなのだろうか。
社会全体が、押しつけられる不条理による屈辱感に慣れきっている場合、その屈辱感に抵抗するにはどうすればいいのだろうか。

邦画「しあわせカモン」

エンディングは「しあわせ」?

洋画「ボビーフィッシャーを探して」

チェスの天才少年の映画だが、実は良い意味で変化していく父親を描いているように思う。周囲の大人たちを変えていく不思議な力を持つ天才少年。この少年も不条理を抱えている。

写真は火災にあう前の沖縄県琉球首里城の売店
2015/06/04

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