小高い丘の上にある墓地を大きな松が見下ろしている。広げた枝を吹き抜ける風を捉え葉が微かに鳴る。見あげると空には雲ひとつない。
墓の前に佇んで手を合わすと、ばあちゃんの思い出が脳裏によぎる。そのとき私は透明人間になっている。そこに、ばあちゃんの記憶以外何もない。
茶碗蒸しを茹でながら民謡を謡っている。白い割烹着を着ている。台所の床板を外して漬物樽の糠味噌をこねている。遊びに行っておいでと割烹着のポケットから十円玉を出して私にくれる。ばあちゃんの記憶の断片はいつも台所の風景だ。
そのとき私は無になる。墓石の前にばあちゃんだけが映し出されている。誰にもそれは見えない。
ばあちゃんとは血が繋がっていない。私はばあちゃんの子でも孫でもない。なのになぜなんだろう。
心で念ずることと言葉に出して言うということとの違いはいったいなんだろう。
「ありがとう」と念ずると遠くで雲雀の囀りが木霊した。

地つづき隣の墓地には碑が置かれている。大勢の人が亡くなった。そのことを忘れないためにどうすればいいんだろう。祈念し記念することってどういうことなんだろう。

伝えなければ忘れてしまう。知らなければ伝えられない。知ったら伝えなければ教えとならない。
遠く、線路の音が聞こえる。