夕方日が傾きだしたころ、武蔵新城駅前のお店に私は母と席に座っている。客はまばらでその場に姉と兄がいたかどうか、いまのようなバスロータリーがあったかどうか、記憶は定かではない。椅子に座った両足は床に届かずに所在なくぶらぶらしている。そのとき初めて馬刺しという食べものを見た。食べながらなんだか嫌な予感がしていた。それから母に手をひかれ踏切りを跨いで県道を渡り商店街途中の路地を入った奥、突き当りの伯父の家を訪ねた。伯父さんは父をいつも「兄弟」と呼んでいて、伯母さんは母の実の姉だ。母は四歳で敗戦を迎えた十一人兄弟の下から二番目で末の弟は産まれてすぐ亡くなってしまったらしい。伯母さんは九番目か八番目の子らしかった。
母は自分の姉夫婦とひととおりの世間話をした後私を預けて帰ってしまった。悪い予感的中だ。どうせ預けられるのならばあちゃんのところがよかったのに。幼稚園に上がるか上がらないかのその頃の私はあまり駄々をこねず口を開かないおとなしい子供だと、どこに連れていかれても褒められていた。褒められているのは実は私の親で、おとなしいことが良いことだと言われれば、子供なら誰だっておとなしくしているだろうが、それが長続きするかどうかの問題で、途中で飽きてしまえば駄々をこねる。たまたま私という子供は”おとなしさに強情”だった代わりに観察する癖がついた。
あくる日、あまり日当たりのよくない小さな庭の縁側に座っていると伯父さんが呼ぶ。振り返ると小指を鼻に突っ込んだ伯父さんがニヤニヤと笑ってこっちを見ている。そのときの私は表情を刻み忘れた人形のように伯父さんには見えたことだろう。突っ込んだ小指を出すと指の先がない。伯父さんの鼻の穴を覗いてもない。口をこじ開けて見てもない。伯父さんは手品師みたいだったが私の顔は笑わない。
伯父さんは伯母さんに耳かきを持ってこさせた。胡坐をかいて私をその上に乗せ、ずるずるしている鼻水を耳かきの綿で搔き出した。「あんたそれじゃ耳かきが駄目に・・・」伯母さんも笑ってる。当時の子供はなぜかみんな上下線とも青い超特急だった。
夕方になり伯父さんに手を引かれ銭湯に行った。伯父さんの背中には魚の絵が描いてある。ばあちゃんと銭湯に行くときはいつも女風呂。そこには絵といえば壁の富士山の絵しかなく、人の背中に絵が描いてあるのは人生経験では初めて。伯父さんの背中を流しながら多分あれこれ聞いただろうが思い出せない。
母親はいつ迎えにくるんだろう。もしかして誰も迎えにこなかったらどうしよう。ずっとここで暮らすんだろうか。馬刺屋に行ってから続く心細さをまさか口に出して聞くことはできなかった。
息子を初めて保育園に預けたときに彼は泣きじゃくった。同じ思いだったろう。それは子がしなくてはならない思いなんだろうか。時代も世代も超えた堂々巡りはなぜ起こるんだろう。なぜ起こるのかを堂々巡りしてしまう。