2024.1.12
亭主関白とかかあ天下
家庭に土足で入って来るもの
子供の喧嘩に親が出るようになって、それでも夫婦喧嘩は犬も食わない。家族は仲良くと役所から通達が来てやがて通達は勅語に変わろうとしている。
勅語というのは天皇からの勅令(命令)であって、そんなものが家庭の中まで土足で入ってこようとしているが、天皇はそんなこと言った覚えはないらしい。役所が推し進めようとしている勅語教育が学校だけでなく家庭の中にまで入ってこようとしている。それは昔の天皇の勅語らしい。
「家族仲良くしろ!」
他人から言われるまでもないが、喧嘩することだってあり、そんな法律が通ってしまうと家族同士が喧嘩すると逮捕されたりすることになるなんて。
ただせさえスマホを手にする度に脳みその中身まで監視されてる状況だというのに。
カネに汚く下半身がとてもフシダラな政治家男女と芸能人が大手を振って歩いている世の中は、その影響の大きさを加味すれば罪としては三倍づけだ。そういう者たちが来る日もくる日もTV画面からお茶の間へ土足で入ってくるのを不快に感ずるあなたの感覚は正しい。
昭和の時代、押し売りだって精々玄関までだった。それがなにやらいつの間にか茶の間の中に土足で入ってくるどころか、頭の中にまで侵入し始めてそれがいまや財布の中にまで手を突っ込みだした。
亭主関白の男性が日本には多いようだ。しかし彼らは家の中のことを何一つできない。家のちょっとした修繕もできないし切れなくなった包丁一本研ぐことができない。洗濯・掃除・食事の後片付けなど何もしない。下手をすれば生まれてこのかた金槌すら持ったことがないという始末だ。それで一歩外へでるとカカーの前で多い張りしているなんて。
カカー天下は亭主関白の裏返し。彼女らは家の中では亭主を足蹴にして邪魔者扱いし、外へ外へと追いやる。亭主は居処がなくてパチンコにでも行くしかない。ヒステリックでなにかというと怒りだす。それでも一歩外へ出ると、亭主を関白として祀り上げるという悪質さだ。
亭主関白とかかかあ天下という言葉で表される夫婦関係は、戦前からの名残りをいまだに引きづっているようにも思えるし、これが日本の家庭像だと、どこからか刷り込まれているようにも思う。
家庭なんだと思い込まされている。
そういう両親を見て育つ子供たちは一方で、西洋人的契約社会での男女関係としての「結婚は契約である」的な嗜好性になるのだろうか。あれはあれで冷たい感じがする。
男女関係、恋愛関係、婚姻関係にも”お国柄”があるように思う。そうなると浮気や嫉妬などのことも取り扱わなければならないだろうが、それは別のページで、ということにしたい。
私の父親は大正時代末期の生まれ、母親は敗戦を4歳のときに経験した世代だ。年の差17歳。夫婦喧嘩をしょっちゅうしていた。喧嘩のあと、父親は数日家に帰ってこなくなる。その間母親は父親の悪口ばかり言っている。
そんなに嫌なら別れればいいのにと思ったこともあるし、そう考えるとその後自分や兄弟たちの暮らしはどうなるのだろうという不安に駆られることがあった。
そうして私は幼少から学生期を経て社会人になり、その間ずっと両親は憎しみ合っていると思っていた。冷たい夫婦関係、偽りの同居生活だ。しかし、後に、ところが・・・その思い込みが覆るときがくる。