Club jannmu

めげずに

めげずに


せっかく見つけたと思ったのに、こっちではなく向こう側のひとだったらしい。
喧嘩を売ってるんじゃなく議論がしたいと言っただけなのに、門前払いされちゃったよ。
正直へこむな、玉砕か?いやいや、俺に問題があるはずだ、少しずつ見えてきたぞ。


構え方というか、構えない構えというか。
昔、糸井さんが誰にも気づかれずに渡れるかってのをTVでやっていて、あんときゃたしか
割烹着姿のおばちゃんに変装して、ハチ公前の交差点を渡ってた。
なにも女装しようってんじゃない。雑踏に紛れるには気を消すんだね。
いきなり叫んじゃ、ただのおかしなひと。誰も聞いてはくれないよな。冷静になれば当たり前だ。
一朝一夕にはいかないさ。
少し弛緩してみるか。
心を開いて、開放するんだ。
いちいち突っ込んでいても後からあとから限がないし、それにいつの間にかの上から目線も
改めなきゃね。こりゃこりゃわるーござんした。


久々に聞いた Linda Ronstadt For sentimental reasons

演奏と歌声が溶け合うというのはこういうのだろう。これぞプロの仕事だろう。


とても落ち着く。こんな風に歌えたらな。
When You Wish Upon a Star …
やはり ’Round Midnight…

投稿日 2007/12/09 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

 気を消すということを意識しはじめたころだった。気にはいろいろあって、厄介なのが「殺気」だ。この殺気を消すということを覚え、なおかつ野鳥や野良猫たちを大好きになることができれば、動物たちの方からなんとなく近づいてくる。いつも動物たちは人間を怖がっている。あたりまえのことだけど。

 動物に好かれると俺のことをいう人がいるが、そうじゃない。動物たちに「好きだよ(言葉じゃなく)」と心で発信している。好かれているのは好いているからなんだ。殺気や邪気。動物たちはそれらに敏感敏感に反応する。

 人間同士が互いに邪気を発しているのが過密都市。そして互いに邪気を受けて消耗してしまっている。

 満員電車や混雑した駅のホームはコンコースでは、誰もがこの「殺気・邪気」を発している、感じている。この感化伝播力はとても高いようだ。気を付けていてもいつの間にか自分も殺気立ってしまっていることがままある。「殺気」は人の心を疲弊させてしまう。「殺気・邪気」に囲まれると自分のことだけで精一杯になり他人を気づかうことができなくなってしまう。渋谷や新宿などは街ごと殺気・邪気といっていいだろう。

 過密をとうに過ぎて、限界過密。都市部の限界をそのことが如実に物語っている。数日間の観光ならエキサイティングな遊園地でいいだろうけど、人間が住み営むところじゃなくなった。

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