Club jannmu

People of the Outcaste class or below

Out Caste(アウトカースト)階級以下の人びと

 世界中あらゆる宗教が「排他的」なのはなぜなのか。を、これら動画から学ぶ。

 太古から宗教は経済と切っても切れない縁がある。政治権力とも切っても切れない関係性がある。

 日本の現宗教はなぜこの期に及んで統一教会問題に触れようとしないのか。それは経済や権力との関係を否定できないことを如実に物語っているといえる。国内外に限らず銀行口座を持たない宗教はない。

 宗教全般を見る、ある宗教の中から見る、歴史から想像する。それでもこれだけではまだ分からない。民主主義と宗教組織はどうやって矛盾に折り合いをつけるのだろうか。

多極化信者の盲信

 憲法や法律でいくら人権を謳っても、実際に人権を守っているのは誰なんだろうか。

 立場を代えて考えてみると分かりやすい。

「自分(個人)の人権を冒すのは誰か。」

 その答えは”他者”である。自分以外の人間が自分の人権を冒したり冒そうとしたりする。だって自分で自分の人権を冒す人はいないから。(そういう意味でトーヨコ界隈的な子供たちは自らの人権を犯していないだろうか)

 だから他者の人権を守ることが、そのまま自分の人権を守ることになる。このことを欧米ナイズされた人は理解しないことが多い。ここでいう欧米ナイズというのは、「無くなったら、足りなくなったら他国から騙したり力づくで奪い取ってくる」という欧米の一部の人びとの考え方を言っている。脱亜入欧して帝国主義(全体主義)に走った旧日本軍部を見れば明らかだが、未だにそういう人がこの国にもいる。

 最近では人権を冒したり冒そうとする他者のほとんどが(みなし)法人といって、企業や団体だったりする。それらの組織は顔を持たない。会社企業は顔を持たないし、実際の受益者は株主、これもまた顔を持たない存在だ。

 各国政府はこの(みなし)法人企業に掛けられていた「規制」を緩めてきた。これが世界一「グローバル企業が活動のしやすい国」といううたい文句だ。規制改革、構造改革などともいう。要は個人の人権を狭めて企業活動による人権侵害や搾取をしやすいように法律を改めたということだった。

 いま盛んに言われている「多極化」は、実は「金融多極化」のことで、それがいったい何を目指しているのかは具体的には何も明らかにされていない。もしもこの金融多極化が複雑化を意味するなら、AI開発競争が意味することも分かるだろう。AI技術というのは一握りの企業が独占している技術であり、それは核開発技術と同じだ。金融多極化というのはアメリカのドル一極経済からの脱却だから、それはそれで歓迎だが、その振り子の力を使って違う方向へもっていこうという働きがあるようだ。それが多分各国で起こっている”民衆ナショナリズム”なのではないのかと思う。”民衆ナショナリズム”を反対側から見たら”外国人排斥”になる。そんなことしても我々一般市民には何の恩恵もない。平和ももたらさない。

 金融多極化の内容が明らかにされないのだから推察するほかない。AIグローバル企業にしか恩恵のない金融多極化なのだとすれば我々にとり何の意味もないし、人権は狭められる一方だろう。このままではAIにも人権を認めよなどと冗談にもならないことが本格化してしまうことになる。

 世界中(いわゆる西側諸国)で外国人排斥が拡大している。SNSなどではそれを盛んに宣伝している。観光で外国人が来ることは悪いことではない。外国人が留学することも悪いことではない。外国人が就労することも悪いことではない。それでは何が悪いのだろうか。

 たとえば日本や韓国は極端な少子化で、少子化ということは人口に占める高齢者の割合が大きいということ。つまり働き手が不足しているということだから、働く人を外国に求めた。そこまではいいだろうと思う。彼ら外国人労働者が自分の意志できたのなら。

 日本人が外国に行って働こうとするときに最低何が必要になるだろうか。そういう条件を満たしているだろうか。日本語が話せない、言葉が分からなければ日本の法律も分からないし、ゴミ捨て場のルールも分からない。最低限必要なことがある。それを求めることは排斥ではない。それと同等賃金とビザ(就労)期間と身元引受人だ。

 雇用側が外国人を雇用して、契約期間が切れた場合、就労ビザ期限が切れた場合、更新するかあるいは帰国してもらうかしかない。そのときにその個人が飛行機代を持っていなかったら、飛行機チケットを購入するために必要なものを持っていなかったらどうなるだろうか。雇用者側は期限切れで使い捨てポイでいいのだろうか。

 日本人と同等の賃金を支払い、帰国の旅費くらいは積み立てるような制度を作るべきだろう。税金を取る側からすれば、外国人労働者も消費者なのだ。

 そのほかにも色々な問題をはらんでいるが、外国人労働者より雇用する側の問題の方が大きいのではないのか。外国人差別はSNSで言われているほど多くはないと私は感じている。観光客も含めて行儀(習慣の違い)の問題をいえば、80年代不動産バブルに浮かれたくさんの日本人が海外に行き、向こうでたくさん行儀の悪いことをしていたことも思い出さなければならないだろう。そういうことがニュースになったこともあった。

 外国人の行儀が悪いことにかんしては見て見ぬふりをせずに「あんた、それはダメ」と声にだして言うべきだろう。習慣が違うのだから、こちらが言わなければ相手は分からない。お巡りさんは見て見ぬふりしかしない。

 外国人労働者に、独りでアパートを借りて暮らせるような賃金が支払われているのなら、日本で行儀の悪いことはしないだろう。ところが現状は、日本の若者でさへアパートすら借りられない賃金で働かされている非正規雇用が多数いる。

 円安でわざわざ日本に来て働いてもそれほど稼げない。それでも来日してくるにはそれなりの事情があるはずだ。彼らの母国、中国やインドに関しては日本の10倍もの人口がある。カーストもある。途上国から新興国へ、そしていまや経済大国だが、格差も相当開いているだろうし、人口が多いから職にあぶれてしまうということがあるのだろう。この辺は情報がないので私には分からず想像の域を出ないのだが。戦争などによる難民とは区別して考えるべきと思う。

 政治行政すべての歯車が、顔の見えない企業の利潤の為に回っている。

 もうひとつ、デジタル監視社会への移行があるが、それは完全な企業全体主義への移行だ。

 これは余談だが、かつて260年間鎖国していた国であり、しかも海に囲まれた島国では、血が濃くなるという問題がある。どういう理由で三親等以内の婚姻を認めないのか。これも15年以上前に可能性として指摘している。(260年間鎖国した血の濃い島国のこと)赤ん坊のときにチンコの皮を切ってしまって愛より血の種族にも言えるのではないのか?血が濃いと人殺し好きなキチガイが産まれるんじゃないのか。

 宇宙をいわゆる神や仏として考えたときに、金や札束や供え物(布施)を積むことで、宇宙の動きが変わるだろうか。金や札束や供え物で変わるものを真理と呼べるだろうか。そういう輩がこの星を破壊している。これは全体主義と違う?

 学者も宗教者も信者も信者でない人もよく考えた方がいい。

国家資本主義とは何か?

いろんなのを読めば読むほど分からなくなるのは何故なんだろう?

*全体主義の部分、書き直しました。全体主義については別途勉強してから書きます。

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