2008/02/08
「貧すれば鈍する」
俺の姉が生まれた頃、だだっ広い庭のある屋敷に住んでいて、なんとかっていう大きな犬が何匹かいたらしい。毎日調教師が来て、その犬に肉を食わせていたのを姉は覚えているらしい。
俺はといえば、川崎に渡田新町というところがあって、駅近くの公園脇の長屋で生まれた。六畳三畳二間の4軒長屋だ。それでも親父は国道にもあまり車が走っていないその頃にセドリックを乗り回していた。
俺と姉の年の差は三つ。3年間で家一軒飲んでしまったらしい。
彼は浮き沈みの激しい人生だったわけだ。それでもその長屋では、夕方になると職人さんやらおまわりさんだかが毎日集まってきて酒盛りをしていた。
その後何度も引っ越すことになるのだが、車はいつも大きな左ハンドルだった。兄と俺は週末になると、靴棚いっぱいに入っている親父のイタリヤ製の黒い革靴を磨かされた。どっちがピカピカになるか競争した。
「靴の汚れてるやつにゃ、ろくなやつはいない。特につま先と踵が目立つから良く磨くように」と言われた。「貧しても鈍するな」とも言っていた。
そのころはそうだったんだろう、でも今は突っ掛けを履いていても、擦り切れた靴を履いていても「凄い」ひとはいる。
俺はまだ親父を超えられないようだ。
昨日、天気が良かったので山の方へ行ってきた。まず感じたのは「空気」がうまい。冷たいが、感じれば感じるほど暖かかった。寒くても暖かく感じれば、それが俺にとっての真実だ。心洗われる思いだった。
山は、ちっぽけな自分に気づかせてくれ、優しく包んでくれる。山の向こうから見える日差しも優しく、俺はもう眩しくはなかった。数時間で帰ってきたが、もうサングラスは必要ないようだ。
投稿日 2008/02/08 Feel something | リンク用URL | コメント (1) | トラックバック (0)
コメント
貴方は
良く考える、
働き者の子供だったのですね!
それらが
大人になってから
あらゆる方向に
アンテナを張れる
感性豊かな人格として
繁栄されている訳ですね!
自然に抱かれると
人って
構える必要が無くなって
ホッとするんだよね!
投稿 ウルフのスナフ | 2008/02/12 21:36