Club jannmu

700seven hundred700

seven hundred

A + B + C = 700

A : B : C = 100 : 25 : 23

 唐突ですが上記の二つの数式について説明させてください。

 ゆうべ、時間はもう十一時を過ぎたころでした。半欠けのお月様は没側に少し傾いていました。夏の夜空は晴れていても湿度が高いために星をあまり多くは見られません。私は家の中にいてPCを消して物思いに耽っていました。さっきまで聴いていたEtta Jamesのブルースのコード進行が頭の中をリフレインしています。そう、少し憂鬱な気持ちの中に浸っていたのです。

 テーブルの上にはメモ用紙と色万年筆がいつも置いてありますので、オレンジ色のやつを手に取って弄んでいました。キャップを外して書いたのがなぜか上記の二つの数式です。

 私の寝ているあいだにもし泥棒が入ってきて「金目のものはないかな」と探しても何もありませんが、実は私にとりこの数式は日々生活していく上でとても重要なもので、金目ではないのですが貴重なものです。そして泥棒さんがこの数式を見てもなんのことやら理解できないでしょう。暗号というのはそういうものですが、この数式は暗号として書いたものではありません。

 「問い」を立てたのです。知りたい「解」がありそれを解くために「問い」を立て、それを視覚化するためにメモ帳に書くという作業を無意識にしていたのです。あくる日起きてみると私にはこの数式が何を意味しているのかが一目でわかりました。

 それを今度は誰にでもわかるように書いてみようという、今度は数式を言葉で表現して読者に説明するということですが、面白くなくては誰も読まないでしょう。いかに大切なことでも重要な研究でも誰にも読まれないならそれはマスターベーション(自慰行為)に過ぎないし、自分だけで善がっているだけという悲しい結果になるということです。

 前置きが長くなりましたが、説明を進めてまいりましょう。

 A、B、C、の合計が 700

 A、B、C、それぞれの割合が上記のとおり、100対25対23です。

 ここで寄り道をすることをお許しください。

 スーパーやコンビニに行ったときにちょっと気にしてみてください。それは入れ物の容量です。

180、200、230、450、500、550、600、720、900、1000、1500、2000・・・よく観察するともっと多くの容量表示があることに私は驚きました。厳密にいうと入れ物の大きさというより内容量です。

 飲料水や調味料などの容器(瓶やペットボトル)の大きさや形状そして素材や色にも注目して観察してみてください。そしてそれはなぜ?と考えることは私たち現代人にとりとても重要なことだと思います。あなたが購入して今ご自分の家の冷蔵庫や台所のシンクの下の収納に収まっているそれらの商品をあなたが何故購入したのか、ということを知るきっかけにもなるでしょう。自分の趣味趣向がどんなものか、大げさにいえば「己を知る」ということになると私は思うのです。

 大昔の中国の本に「論語」というのがあります。私たちはいつごろからか欧米ナイズされて欧米文化ばかりを真似て暮らしています。そしてなにかしっくりこないと感じているようです。欧米から学んだことも大切ですが、遣唐使の昔から日本が学んだことが忘れられてしまっていては貴重な経験と学びを生かせない、バランスをとることができない。ということになってしまいます。

門外不出の「たれ」の調合

 日本そばのたれ、天丼のたれ、ラーメンの醤油スープのたれ、焼き鳥のたれ、私たちの食文化のあらゆる料理に応用されている「たれ」の門外不出の調合割合と、容器(私の場合、焼酎のガラス瓶720ml)に収まる量の「たれ」を作るために、A醤油、B砂糖、Cみりん、それぞれの量を求めたいという「問い(疑問)」が冒頭の二つの数式です。

 「問い」の数式を立てたら解かなければ意味がありません。

 A、B、C、の合計総量は148です。

720mlのガラス瓶に門外不出のたれを余さず漏らさずおさめるためのA醤油の量は

148分の100 電卓で100を148で割ると0.6756・・・

これに700を掛けます。(なぜ720でないのかはのちほど)

そうすると、

472.9729・・・約473ml の醤油を配合すればいいということになります。

 同じように砂糖、みりんの量も計算します。

 冷蔵庫のたれのガラス瓶は720ml で、まだ少しひと月くらい前に作ったたれが残っています。前回作った残りがあるので、新しく作るたれの総量を700としました。

 もうひとつ私にとり重要なことがあります。本当はこういうちょっとしたことが門外不出なのですが、今回は大放出しましょう。

 ガラス瓶に残っているたれは「ひと月寝かせたたれ」です。ここが重要です。作ったたれを全部つかい切らないうちに新しく作ったたれを合わせるということです。(熱いうちに合わせ常温で冷ます)

 ここで以前読んだ「論語」についての本の紹介をします。

「子曰。

学而時習之。不亦説乎。

子いわく(なにかを学んで、それがあるときハタと理解できて、しっかり身につくことは、よろこばしいことではないか。)学んだことが、それだけでは身につかず、時を置いてあるとき、ふと、身についている、そういう風に人間は学習するものであり、そのときに喜びを感じる生き物である。「学」という段階では、受け取ったものが何なのか、学ぶ者にはまだ意識化されていない。・・・それがある時、「習」によって完全に身体化される。すなわち、細部が身体化され、無意識化されることによって、逆に全体が意識化され、「ああこれか」とわかるのである。またよろこばしからずや。・・・何かを学習した人が往々にして陥る愚行は、自分が学習したことを、未だに知らないでいる人を見たら、急に偉くなった気がして、相手をバカにしたり、見下したりしてしまう、ということである。

有朋自遠方来。不亦楽乎。

人不知而不慍。不亦君子乎。」

 (それはまるで、旧友が、遠方から突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。そのよろこびを知らない人を見ても、心を波立たせないでいる、それこそ君子ではないか。)

安富歩 著 「生きるための論語」

 話を戻します。全部で700ml の量の「たれ」を調合する際に、数式を学び瓶の大きさに合わせて収める。このときに瓶がカラになるまえに、たれがある程度残っているうちにまた新しく「たれ」を作り、ひと月あまり寝かせて残った「たれ」と合わせる。「たれ」の気持ちになってみれば、単なる「たれ」ではなく「おいしいたれ」になりたいから、作り手はこの「たれ」の気持ちを汲んで「おいしいたれ」になるように工夫を凝らす。この手作りのおいしい「たれ」を口にすることこそが、上記の引用でいう「学」の第一歩ということになると思います。このことで「たれ」は熟成を継続して繰り返すので疲れない。口にした人は風味だけではなく他の多くの要素を学び、それがのちに「ふと」、あ、これか。と理解できる時が来る。そのことを「習」と論語の意味(読み)として書かれている。

 *作ったたれが半分くらいになったら減った半分を新しく作って合わせるほうがいいかもしれない。

 機会があったらですが、たれ作りを今度は欧米(キリスト教)的思考で解釈して作るとどういう文章になるのか実験してみたいと思います。実は2行の数式がもうすでに欧米式ということなのですが。言葉の調合は、言葉だけでなくFEELを学び習うことでもある。という風に書いていて今回学んだというわけです。

 誰かに何かをシェアすることにより、自分も何かを学び取り活かすことが、いずれ気づきに繋がる(かもしれない)ということなのですね。

 この「たれ」を鰹節の出汁で割れば蕎麦、鶏がらスープで割れば醤油ラーメン、そのまま掛けると天丼という風にいろいろ使えます。バーテンダー的にいえば、醬油ベースのスープカクテルということですね。

 腹八分目(足るを知る)。あまりおいしいからといってついつい食べ過ぎてしまうことがあります。食べ過ぎたあとのあの辛い状況が学んでも学んでも身につかない、くいしんぼうなんだな私・・・。

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