ガザ虐殺より前、ウクライナ内戦やコロナ騒動よりもっと前、歯ブラシを買おうといつものお店にいった。と、いつも使っていたお気に入りの歯ブラシが置いていない。欠品かと思いお店の人に聞いたところ「商品が入荷しない」ということだった。そういえば並べてある歯ブラシはどれも値上げされている。
商品名は覚えていたので家に帰ってネットで調べてみると、製造していた町工場が潰れてしまったという。仕方なしに別のものをあれこれ選んだ。今使っている歯ブラシに出会う前に数種類の歯ブラシと出会い別れを告げた。君とは合わない、悪いがお別れだ。そして別の歯ブラシを選ぶことを数回繰り返し現在の歯ブラシと出会ったというわけだ。
ところが穴がない。それまでのお気に入り歯ブラシは柄の端に穴が空いていて、流し台に設置したフックに引っ掛けていたのだがそれができない。ブラシ部分はフィットして気に入ったのだが柄の部分がどうも気に入らない。
柄の部分にキリで穴を空ける
穴の開いた容器に入れて引っ掛ける
置き場所を変える
このうち、一番簡単でお金のかからずなるべくこれまで通りの方法は、穴の開いた容器に入れて引っ掛けるをもっと簡単にした、買ってきた容器をそのまま使って引っ掛けるというものだった。なのでその現在使っている歯ブラシとの出会いからのお付き合いは無事に続いている。
考えてみれば購入者がひとつの商品に求める要素は、このほかに色・形などのデザインやパッケージ広告など様々のようだ。そこ(作る側)に多くの人々がそれぞれの特性を活かし携わっている(といいな)。ブラシがお口に合わなければ何にもならないのだが。甘いものを食べたあとは歯磨きを忘れずにしたいものだ。
学生の頃、喫茶店でジュースを注文するとグラスに氷とジュースとオレンジやレモンのスライスが入っていた。缶詰のチェリーも入っていた。レモンティーにもレモンスライス添えられて出されていた。
当時、「リンゴをかじると歯ぐきから血が出ませんか?」という歯磨き粉のTVコマーシャルが流れていた。虫歯になった歯をその歯磨き粉で磨いても虫歯は治らない。歯ぐきが病気になった場合、歯磨きしなかったことだけが原因だとは限らない。
最近では国産のレモンも出回っているが値段は高い。日本では出荷時の防腐剤などの塗布は禁止されているから安心だ。外国から輸入したものには「防カビ剤が塗ってある」と表示されていることもある。なぜ国内産では禁止されていることが輸入物には許されているんだろうか。
それをスライスしてジュースに入れられたらたまらない。リンゴだってできれば丸ごとかじりたいが、雰囲気そうもできないご時世だ。一般消費者には目の前で売られているその商品が安全かどうかわからない。
憲法では「国民の健康で文化的な生活」が保障されているが、国は積極的に守ってはくれない。国は国民に向かって「自己責任」という言い訳をすることが多い。
目の前の商品を食べるかどうかは自己責任だと思うが、きちんとした商品情報を添えるのは個人にはできないこと。だから国が責任を持たなければならない。自己責任だけでは健康を守れない。だがもし、きちんとした商品情報が添えられたとしても安全なものがお店から無くなってしまったら、それは無意味となる。
「私はお金持ちだから大丈夫」なんて思っていたら大間違いだ。安全な食糧が少なくなっている。安全な食糧がどんどん高価になってしまっている。このままでは安全がお店から消えてなくなってしまうかもしれない。お金があっても無意味になってしまおうとしているのは、「お金がすべて」と思っている人たち(そういう価値観のひとたち)がこの国をずっと運営しているからではないのか。
何かと交換する際にお金はとても便利だから、この先ずっと無くならないだろうが、物と物を交換するためにあるのがお金だ。誰だって最低限のお金は欲しいと思うだろう。その最低限というのはいったいどれだけなのだろうと皆が考えることが大切だと思うのだ。皆違う事情、違う生活がある。それでも事情や生活の違いに関係なく、お金で交換できるものの質が問題となっているのに、株価とか為替など「お金でお金を増やす」ことばかり考えている人たちがいる。そういう人たちが国の中枢に居座っているということが問題だと思うのだ。なんでもお金で片が付くという価値観を変えなければならない。
人間いつ死ぬかなんてわからない。誰にもそれはわからない。せめて日々健康に生きることしかできない。その結果、長生きするかどうかはわからない。けれど健康でいたいと誰もが思っている。
「食」ということが健康の基本だと自分の経験から思う。「食」は身体が欲するその時々の状態によるから、自分の身体を自分で感じ把握することが大切だ。年齢もある程度目安としては考慮が必要だが、重要なのは身体の状態を知ることだと思う。同じ年齢でも人それぞれ身体の状態が違う。
病院でする検査も目安になるが絶対じゃない。医師のいうことも専門家のアドバイスとして勉強になるが自分の身体(中身)は自分にしかわからない。理解する目安として検査を受けたりアドバイスをもらったりする。究極の自分の担当医は自分だということだ。死んだって医師は責任を取ってはくれないのだから。こういうことを書くと「生意気な素人だ」と怒り出す医師が過去いたがいまはどうだろうか。医師までが金儲けになってしまったらサイテーの社会になってしまう。
私は健康ブームを煽るつもりは毛頭ないが、自分で情報を探して文字を読むことも、健康のための参考になると思うので、すでにシェアされているものをここでたまに紹介している。まぁ読んで損することはない。鵜呑みにせずに自分の身体と照らして考えることが大切だと思う。
まだ肉を食べているんですか ―― コリン・キャンベル『WHOLE』第1-2章
病気、異端児としての歩み ―― そのパラダイムから外れた発見( 第3-4章)
私は肉食主義でも採食主義でもなく、栄養剤やビタミン剤などはよほどでなければ一切飲まない。また、プロスポーツ選手やアスリートでもないので、彼らの食事に関する言は自分に合うはずがないと思っている。運動量が全く違うのだから。
私の場合、敢えて言うとすれば「雑食主義」。安全なものなら何でも食べるし、色々なもの(味)を食べるが、身体が欲しがるもの、食べたいと思うものを偏らずに食べることにしている。当然だが若い頃と現在では違ってきているし好みも変わってきている。それでいいのだ。
当時、肝臓がん末期の従兄に向けて陰ながら書いたもの。彼の職業はやくざだった。
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