Club jannmu

「声」

○に 点々


カに点々でガガーリン
火に点々でびびりんちょ
ふに点々でぶっとばしーの、トツギーノ!
はに点々で、ババー! いい加減に死ねや


投稿日 2007/05/13 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

 世のババーたちにとても失礼なことを書いたと反省しつつ、18年という随分と長い間眠っていた寝た子ならぬ寝たババー、漬物なら古漬けのようなものを起こして言い訳をしてみたい。

 世の中には不思議なことがたくさんある。私の周囲には世界の不思議が集まってくるようで、そのこと自体が不思議でもあるのだが。

 私の父は生前、親戚を地名で呼んでいた。川崎の、とか名古屋の、深川の、保土谷の、山形の、新潟の、など、父方母方を問わず親戚を地名で呼ぶのだ。その父は私が24歳のときに死んだ。親戚からは、やりたいことをやるだけ好きなだけやって(放蕩という意味)死んだ父、葬式のときにはそういう風に親戚に慰められた。慰めになってんのかな~と今になって思うが、今回はその話ではない。

 24歳のときに父を亡くし、母はそのとき美容室をやっていた。あの人は手先がとても器用な人で、和服を着るときの髪のアップなど得意だった。父と結婚したころの母は、川崎東田にあるカミイサン(髪結いさん)でアップしてもらっていたが、その技術を見て盗んでしまったようだ。なので美容師の資格は持っていない。しかし古い話だが、どういうわけか芸能人の髪結いをしていた優秀な美容師を仲間に引き入れようやく開店にこぎつけたが、それもつかの間、父が死んで銀行員がやってきた。当時経理学校を卒業したが、その後有耶無耶のうちに水商売のアルバイトをしていた私を、両親は美容学校に通わせ美容師の資格をとらせようと試みたが、それもあえなく断念。いまそれを思うと私はネープのあたりが少しひりひりする。

 母の美容室開店資金の銀行借り入れの保証人は父で、その父が死んだのだから銀行としては何とかしたい。そこで私に白羽の矢が立った。ふらふらしていた私だが、そのころ金融ブラックリストに名を連ねるようなことまではしていなかった。

 悪く言えば「貸しはがし」。死んだ父の代わりの誰か保証人が見つからなければ、即時返済を求められていたようだ。私は母に勧められ銀行員の提示した書類に判を突いた。つまり母が返済できなくなった場合、支払い義務は私にかかってくるというわけだ。月々の返済計画など全く聞かずに、知らないまま判を押したのだった。店の売り上げが毎月いくらあるのか、そういうこともふらふらしていた私には興味がなかった。

 しかしあのときに母や私にもう少し金融に対する知識があったなら、あんなことにはならなかったようにも思う。

 そのころの母はすでにリュウマチを患っていて週に一、二回だっただろうか、国道病院に通っていた。病院に通うときにはいつも私が付き添った。手先が器用でもリュウマチではどうしようもない。そのほかもろもろの心の負担が当時の母にはのしかかっていたようだった。私は考えが幼過ぎて母を思いやることすらできなかった。その母も数年後に死んだ。それはちょうど父の三回忌の日だった。父は大正13年生まれで三回忌は死んだ日から二年目、三年目には昭和天皇が下血した年だったのでよく覚えている。

 それから歳月は過ぎて、私は所帯を持ち子をもうけ、そして離婚した。約15年ほどの婚姻生活が終わりを告げたころ、それまでの鬱病が躁鬱の躁に替わっていた。三人で暮らしていた市営団地の南向きの部屋には穏やかな日差しが差し込んで、そのためにかえって部屋の閑散が際立っている。前日に自転車で霞が関まで往復した疲れからか、日差しの中で私はまどろんでいた。ふいに携帯電話が震えだした。

 携帯電話の震える作動に対して、どういうわけか私は気づかないことが多く、だから電話に出れないことが多い。感覚的に私には合わない機械のように思う。しかしなぜかこのときは通話ボタンを押して耳に当てた。

「げんちゃん、げんき?」

 一瞬で、そのひと声で、視界にあるものがすべてどこかへ飛んでいってしまった。空白空間。私は反射的に

 「ババー!」

 隣にまで聞こえるような大声で叫んでいた。恐怖を感じていた。

 聞き慣れた声、細く掠れて低いその声は、数年前に亡くなったはずの名古屋の伯母の声だった。その声を聴いた途端に私は怖くなって「ばばあー!」と叫んでいたのだ。そうして相手の話も聞かずに通話を切った。

 そのあと落ち着いて考えた。間違いなく名古屋の伯母の声なのだが、なぜ・・・

 私の聴覚における声帯認証は正確で間違いえない。

 「げんちゃん」というのは死んだ父を名古屋の伯母が呼ぶときの名だった。名古屋は父の姉。父を「げんちゃん」と呼ぶ人はこの伯母のほかにいない。あのとき名古屋の伯母は生きていたのだろうか。どうやって私の携帯番号を知ったのだろうか。私に電話を掛けてきて開口一番がなぜ「げんちゃん」なのだろうか。

 それ以降、名古屋からの電話は掛かってこない。おそらくもう会えないだろうし、この実際に起こった不思議が解けることはないだろうけれど。なんなら瞽女(ごぜ)にでも化けて出てきてほしいものだ。もう恐怖はない。

 

 2025/08/27

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