『おとなは、みんなうそつきだ!』
おとうさんも、おかあさんも、うそつきだ!
おとうさんやおかあさんは、ぼくたちわたしたちよりもはやくおきて、ぼくたちわたしたちをおこしてくれるけれど、がっこうにちこくするからというりゆうだけ。
そのときにおとうさんは、わいしゃつにねくたいをしめながらおはようといい、おかあさんはちんしたあさごはんをだしながら、しゅくだいやったのときく。
ぼくたちわたしたちのきもちはきいてくれない。
おとうさんのわいしゃつは、おかあさんが、くりーにんぐにだすけれど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。
がっこうのかえりみち、ちょっとよりみちしてくりーにんぐやさんのおじさんが、おしごとをしているようすをみた。
わいしゃつのくりーにんぐをするときにはらうりょうきんは、おしごとのたいへんさをしらないとわからないはずだけど、おとうさんもおかあさんもあいろんをかけたことがない。
そういえば、くりーにぐやさんは、まんいんでんしゃにのったことがないので、そのつらさをしらないといっていた。
ぼくたちわたしたちは、がっこうでおえかきのじかんに、せんせいがきめたてーまでえのぐをよういするけれど、おとなのことばでは「けいもうぽすたあ」というらしい。
「まなーをまもろう!」とか「ぽいすてやめよう!」とか「かわをきれいに!」とか「みずをよごさないで!」とか「しぜんをまもろう!」とか。
ぼくたちわたしたちは、おとなたちがだれも、だれひとりそのことをまもらないことをしっている。
しっているけれど、えをかかされる。
そういうえをかくと、ぼくたちわたしたちも、うそつきなおとなのなかまいりになるみたいでとてもいやだけど、おとなたちは、そういうぼくたちわたしたちのきもちをまずはじめにきこうとしてくれない。
しかたなくぼくたちわたしたちは、うそつきおとなのまねをして、いつのまにかなかまいりさせられてしまう。
とてもいやだけれど、ぼくたちわたしたちがおとなになったときには、たぶんわすれてしまっているんだろうなとおもう。
そういうのが、とてもいやだとおもう。
このまえ、どうきゅうせいのきょうだいがかよっている、ようごがっこうにいったら、ろうかにはってあったたくさんのえが、ないていた。あんなにないているこどものえをはじめてみたのでおどろいた。
おとなたちはどうしてあんなにかなしいそうなえばかりはることができるんだろうかと、とてもふしぎにおもった。
きょうしつでかいたえやでんしゃやばすのなかにはってあるえとはぜんぜんちがうのに。
おとなたちは、みんなうそつきだと、おもった。
あとからしったけど、あいろんのことをぷれすとえいごではいうらしい。
夕べ見た夢のひとこま。
とてもイタイ夢だった。