犬と違い猫は群れない。
木村太郎はフジTVのキャスターっぽいことを当時安藤裕子とやっていて、この二人は実はアメリカの牛肉による経済制裁を隠しその後のアメリカ産の狂牛病肉のセールスマンだった。ビートたけしは、日本人特有の玉砕思考の持ち主でどうにもならん。15年くらいたったいま、尊敬するどころか軽蔑している。
いわゆる左側が誤解しているのは、9条は守っていくべきだし差別は絶対いけないが、現時点で戦争したいし戦争で儲けたい、差別をその為の道具として使っている輩が、この国の上層を覆っていて無くなっていないということだ。有るものを無いとして訴えるのと無いものを有るとして語るのではまったく違う。
これを書いた当時、私は鬱病ど真ん中みたいな状況で、三ヶ月くらい家に閉じこもって朝の放送開始から深夜の放送終了までずっとTVを見ていた。TVが映しだすバーチャル世界と一歩外へ出たときの現実世界があまりにもかけ離れていることにその後気づいていくことになる。これからTVが終焉を向かえるが、相変わらず同じような内容をスマホで見ているのは馬鹿としかいいようがない。
2007/04/12
A WORD. LET ME TRY AGAIN.
前回の投稿からずいぶんと時間が経ってしまいました。
その間、僕は迷っていたのです。
僕のような者が、何かに対して意見を述べたり批判的なことを書いたりするのはおこがましいのではないのか。でも書きたい。いや、書けないだろうと。
でも先日、ある人のある言葉を聴いて勇気をもらい考え直したのです。
だから今日からまた、何かを感じたら感じたまま書きたいと思います。
ここでは日記を書くつもりはありません。日記って人に読んでもらうものじゃないとおもうから。
言葉って不思議です。誰かを勇気付けたり、物騒な言い方をすれば殺したりもできる。
でも僕が書きたいのはそういうことではなくて、言葉では表せない何かをあえて言葉で表現できたらと思っているのです。なんか矛盾しているようだけれど。
情報が溢れかえっている今の世の中だから、そしてせっかく言葉という表現方法を選択したのだから、できる限り余計なものはそぎ落としたいし、あまり説明もしたくないんです。たとえ誤解をまねいても。
いろんなこと書くつもりです。ここを訪れる方は少ないけれど、ご意見、ご批判どしどしください。匿名の世界なんですから。
じゃれあいたくないし、仲良しごっこもやなんです。群れるのも。
肩の力を抜いて、それでも真剣に、思いっきり、笑ったり泣いたり怒ったり楽しんだり噛み付いたり引っ掻かれたり殴ったりエッチしたり蹴飛ばされたり叱られたり抱きしめたり馬鹿にされたり差別したり叫んだり陵辱したり泣き事言ったり犯されたり飛んだり跳ねたり踊ったり歌ったり夢見たり死んだりしたいんです。
そのためだったら誰かを無理やりここへ引っ張り込んでしまってもいいと思ってるんです。
たとえば、木村太郎さんはいろんなこと知っててすごいな~と思うけど、僕はあんなふうに理論武装したくないんです。鎧は重たいだろうし、死ぬまで自由でいたいから。
たとえば、ビートたけしさんは僕の尊敬する大人の一人だけど以前こんなことを言っていました。自分が芸人としてもうろくしてゆく様をもテレビを通して見せてくれると。僕たちは今まさにその様を見ている。勝ち負けなんかどうでもいいけど、勝新太郎さんを超えられなかったなぁと過去形で言い切ってしまおう。でも映画監督としてのあの人が描く死は、紛れもなく日本人で、紛れもなく美しい。それを世界に共感させたことがとても嬉しい。
投稿日 2007/04/12 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)
言い訳:
私は友達と人通りの多い場所のベンチに座っている。目の前を大勢の人が通り過ぎる。数人の女性が歩いていて私は真ん中にいる女性が好みだなというと友人は違う女性が好みだという。それが差別というならばそうだというほかない。映画でも音楽でも同じだ。