2007/10/21
現在地
徹夜麻雀で散々な目に遭い、明け方まだうすら寒い時間に電車に乗った。座っていると尻の下がなんだか暖かくなってきてそのまま心地よい揺れに身を任せると、猛烈な眠気が襲ってきた。
花や風や日差しといったものでなく、電車の座席のヒーターや乗客の服装、中吊り広告の見出しなどで季節を感じるここ数年。だからといって急いた時間を過ごしているとも思わないし、そのこと自体は決して悪いことではなく、ある意味進化なのではないかとすら最近思うのだ。
そんな意味もないことを考えている間に、確実に時は流れ季節は変わって行く。「焦ることはない」と自分に言い聞かせ、そのことを意識的に頭から排除する。まるで川を上って行く仲間を尻目に、岩陰に身を隠し夢を見る魚の様に。
「遺伝子。そう、それは種ではなく個の遺伝子なのだ!」
宗教を否定した宗教家が叫んだ。
「私を信じて金を出しなさい」
と。
「さあ、この半開放的な世界。亡者の巣窟へ」
と。
誰かが肩をゆすった。
「終点だ。」
青い制服に起こされ、目を覚ますとそこは現在地だった。
投稿日 2007/10/21 Feel something | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (1)
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トラックバック送信日 2007/10/23 6:22:51
これを書いてから17年経った。これを書いた後数年後に政権が代わったが変らなかった。私の現在地は当時とあまり変わらないように思うが、景色は年数分変わったようにも思う。当時いただいたトラックバックもそのまま掲載した。
進化というのは退化という意味とあまり変わらない。単に環境適応した結果の変化過程というだけで環境は刻々と変化している。
過去に眼球を持っていた深海魚が光のない暗闇の中で視覚を必要としなくなり眼球は退化した。かつて前足に過ぎなかったが二足歩行したら前足は必要なくなり手腕となって進化したというだけのことだ。
数千年、数万年かけて進化・退化(変化)した感覚を支える遺伝子を、金儲けに利用した組み換えは、初めから退化にも進化にもならないことは発明者が一番よく知っているだろうが、彼らは羞恥心が退化し、金銭欲が進化した。
そしてカルト的な第六感などはそもそも存在せず五感の総合力であることは既に説明したし、ナルシシズムとコマーシャリズムについても少し書いた。