サラリーマンの昼休み
サラリーマンをしていたころ、昼休みの退屈を会社近隣の商店街や公園などをブラブラ散歩して過ごしていた。
昼食は毎日決まっていて、朝にコンビニで1.5リットルのお茶とおにぎりを三つ買う。いつもと同じ棚の梅、シャケ、昆布エトセトラ・・・。値段の安い順の範囲内なのだが、派遣会社から派遣された企業、その企業から他企業へ出向して常駐するという、とてもややこしい非正規社員の私の、それがお小遣いの範囲内。私の給料はいったいどこから出ていて中間にどれだけ関わっているのだろうか。
自分の机で毎日同じものを食べているのを同僚にはあまり見られたくない。だからなるべく会社の外で食べる。ベンチのある公園を探して。 追加: 幼い頃は布団に入ると喘息と皮膚アレルギーで眠れない。朝方にうとっとすると寝小便をしてしまう。目が覚める。
近くの広場の決まったベンチに座って、いつものごとく旨くもない握り飯を食べていると、決まって現われる人がいた。彼は、押してきた台車にベンチ脇の屑籠の中身を移し、タバコ吸い殻入れの水溜まりを清掃して、また次の屑籠に移動していく。慣れた出際で仕事をこなしていく。私はそれを遠目越しについつい観察していた。ほかの清掃員と揃いの作業着を着ていたから、近隣ビル清掃会社で働いているのだろう。サラリーマンの昼休みの時間。
いずれ書くと思うが、ビル清掃は私を育ててくれたバーちゃんが、ジーちゃんが死んだあと麻雀屋をたたんでから就いた仕事だ。臨時雇いでボーナスなどなく、あちこちの現場に行かされる。給料は安いのに人づかいは荒いとこぼしていた。
そして私は妄想する。もし彼らがいなかったらこの広場はごみだらけになっているだろう。働き先でも住んいでる地域でも、街が綺麗になっているのは誰かが人知れずごみを拾い片付けているからなのだ。裏路地の階段も表通りの塵の集積所も、必ず誰かが綺麗にしていてくれる。そう思うと感謝せずにはいられない。だからポイ捨て吸い殻や犬の糞があると、そういう意味で私はとても、猛烈に、沸騰したヤカンのように、腹が立つ。
彼は二十歳で死んだ私の弟の持つ特徴と同じ雰囲気を持っていた。弟は生まれたときに両足が不自由(内反足といって爪先が極端に内側向き)、目はロンパリだったが、小学校に上がる前には新聞のひらがなは全部読むことができていたので、頭の良い弟だと贔屓目だが思っていた。その後何度か手術で全身麻酔をかけられた。本人にはつらい手術だったと思う。そして弟はいまでいう知的障がいを持つことになった。身体的障がいの手術を受け、ほかの障がいに変化してしまった。だから私はそういう人がいるとどうしても目で追ってしまう。
晴れた日に野外で昼食を取るのは私にとり息抜きとして欠かせない。
端から端まで見通せる、びっしりと並んだ机と椅子。200人くらいいるひとつのフロア。それぞれがPC画面を眺め、受話器を耳に充て、キーボードからカチャカチャ音を発して仕事している。地上30階の圧迫感。
それまでずっと職人仕事で、野外で昼を過ごすのが当たり前だったからだろうか。しかし雨の日には困った。職人をしているときには現場の建屋や車の中で食べていたが、スーツを着てネクタイを締めて雨宿りしながら手持ちの弁当を食べられる場所はビジネス街には何故かない。会社周辺を探しても殆どない。仕方なく自分の机で食べることになる。
おにぎり三つ、ものの10分で食べ終わる。決して豊かなランチとは呼べない。なんとも味気ない。抗うつ剤を飲み余った昼休みの時間、ネットで時間の空白を探る。
私の勤めていた会社は求人サイト検索すると何故か「駄目だしNG」の警告画面が出る。仕方がないのでニュースを読んで昼休みの時間を過ごしていた。
事件・事故があちこちで毎日起こる。それをニュースで知ったところで自分の何が変わるのだろうか。知ったら何かいいことがあるのだろうか。知ることによって自分に起こるかもしれない事件・事故を防ぐことができるだろうか。気をつけることはできるけど、気をつけている隙を突いて起こるのが事件・事故ではないのか。
自宅では新聞はおろかTVニュースすら見ない。世の中で何が起きているのか、なんで自分の心や生活が苦しいのか何も知らないわらない。そういう人間だった。
いま考えてみれば、ニュースを読むようになったのは、昼休みの虚しい暇つぶしからだった。
そしていまはそのTVや新聞ニュース批判をしている。大手新聞社や地方紙そしてTV報道は嘘が多く、重要なことを隠蔽している。