日本人の笑いのツボ

2024 1.22   21:39

日本人の笑いのツボ

2018年の1月18日に、早稲田大学大隈記念講堂、大講堂で

鈴木忠志×渡辺保 「劇的なるものをめぐってⅡ」ってのがあって見に行った。

あれからすでに6年が経つ。

二階席で見たんだがなんだか詰まらない。理屈っぽくてつまらない。それでも

思わず声に出して笑ってしまう場面があった。会場は深としているのに私だけ大声で

笑ったその声が会場にこだましてしまう、みたいな場面がスクリーンに映しださ

れる映像とは別に、リアルで私的な臨場感としてあった。

 

立川談志という、この落語の天才は死んでしまった。残った弟子はなんだか

NHKのサラリーマンみたいなバカヤローばかりで、この師匠からアノ弟子はないだろうと

そう思う。無毒無害で無味無臭、あたらずさわらずなサラリーマン弟子。

 

だいたい、芸のこやしにするために政治家になったなんてのは、いくらキツイシャレ

でもいただけない。この天才は政治家などになるべきではなかった。とそう思う。

しかしこの人の「芝浜」は鬼気迫る芸を感ずるし、これは円熟というほかない。

談志のファンと私の笑いのツボが違っている。

ドギツイシャレが彼の真骨頂であって、私のツボをくすぐるが、談志ファンはそうではない。

この間のずれを埋めようとする談志は憐れだと思う。理解者がいないのだから。

 

この人の落語は映画だ。それも日本の時代劇。

バカといわれるくらいに正直な日本人文化、日本人の心象を描いているまさに文化人と呼ぶに相応しい。

この正直さに涙腺が緩まないようなやつは日本人じゃない。

人を騙してでも、数字を上げることを善しとするオカネ至上主義(別名:実力主義というらしい)の欧米価値観との圧倒的違いだ。

 

 

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