2024 0307 11:00
価値ってナニ?
価値があってそこから付加価値が生まれる。そもそも価値とは何を指すのだろうか。
喉が渇いたときに水を飲みたくなる。川や湖や井戸の水が綺麗ならそれを飲む。お代はいらない。
が、この水には値段は無いが価値がある。これを水筒に入れて出先に持っていくと、これが付加価値になる。水筒という入れ物の付加価値と水の無い場所で喉が渇いても平気だという付加価値だ。(ペットボトル入りの水をオカネを出して買わなくていいという付加価値もある自販機に頼らなくていいという付加価値もある)
すべての人の日々の営みにこそ価値がありそこからしか付加価値は生まれない。
価値とは人を幸福にするものでなければ価値と呼べず、だから付加価値は人をより幸せにできないものは付加価値と呼べない。
人の営みが、地球から何かを抽出する。モノやサービスと呼ばれる価値だ。
抽出するわけだ。
もう一度、なにかを地球から抽出する。創造する。
想像して創造する行為を営む。
そこからオカネを抽出することばかり考えているのが金融工学だが、人の幸福とは何ら関係ない。
何を抽出するのか。
金銭(オカネ)なのか、それとも人の幸福を抽出するのか。
前者はより高価、もっと高価、もっともっと高価(オネダンがより高価)なものを作り出し消費し破壊・廃棄することで回転させることが目的となり、一番高価なモノ、つまり兵器と戦争にならざるを得ない。オカネは必ず偏るからオカネだけを抽出しようとすると戦争になる。
本来そもそも人の営みは幸福を得る為の行為だから、地球や自分の脳味噌から抽出(創造)する価値は当然幸福を抽出するということになり、戦争や兵器を産む抽出の目的とは相反する。幸福を得るためには幸福を話し合って議論し合っていかなければならないけど、それを拒否して暴力武力に訴えるのが戦争だ。喧嘩の強い方が勝つというなら経済学なんていらなくなる。喧嘩の強い方がエライというなら猿の群れと同じで人間じゃない。
日本の消費税は付加価値税と言われている税だけど、単純に金銭的価値を税で上乗せしただけだから、そのものの価値が上がったわけでもないし人の幸福とも何の関係もない。
税徴収する為の屁理屈に過ぎないが、消費税を喜んでいる人も少数だかいる。
それは収入における生活費の比率が低い人。簡単なはなし高額所得者だ。株価だ土地バブルだので数億円プレーヤーだったりする少数の人は主たる収入源である利子所得の税率が低いことをひた隠しにしていて、次の月の給料日までかつかつで生きていたり、買い物で財布の中を気にしている殆ど大多数の人々にそのことを知られたくない。
学者たちが、昔の経済学者のダレソレがこう言っていて昔の哲学者がああいっていてなどと講釈を垂れ続けているけれど、その昔のエライ人がそんなに以前に指摘しているのにそうなってないことの説明をしようとしない。単なる講釈垂れのセンズリでしかない。
中学の数学で習う比例をセンズリ学者学会では線形などと呼び名を変えて悦に入り一般人を雲に巻く。
数十年、百年も前のエライ人が指摘したことがなされていないのは何故なのかのそれが理由だ。
つまり「一般人に分かりやすく説明する」ことを怠ってきたというわけだ。
年間100兆円(ホントはもっと多い)という膨大なオカネが予算として計上されるがこの国は昔からず~っと相変わらずスキャンダル追及ばかりで議論が進まない。説明するといって「何も、一言たりとも」説明していない。それは一党独裁だからでその100兆に群がる学者が多いからでもある。
100兆円がどこから来てどこへ消えていくのか学ぶのは容易ではないけれど、もしかしたら誰も把握していないのかもしれないが、学ぼうとすると講義に数万円支払ってみたいなことになる。歳入50兆は俺たちの税金からなら学ぶ権利というか教える義務があるはずだが、学者は誰もそのことを言わない。だって権益だからとぬかす始末だ。
だからこそ俺たち「一般人が知ること」から始めるというのを、俺がずっと前から始めているというはなし。
ガザだって世界中が知ることからしか始まらなかったし、知って抗議が世界中で始まったのだから。
人の幸福は形がないから説明が難しいけれど、誰もがその為に生きて営んでいるのは普遍でありそれは真理だから。