預貯金の利息とレジ袋

小学校三年のときの学年末通信簿に「言っていることと行動が伴いません」と書かれていて、それを親に見せると肯いている。理屈っぽく育てたのは父親なのに・・・愕然とした。

そう、私は大口ばかり叩く小学生だった。

言ってることとやってることが違いますから改めましょうという担任からのメッセージが親に伝えられた。愕然としながらも、確かにそう言われればそうに違いないと自分でも納得してしまうのだった。

大人になってもそれが治らないような人間は政治家や社長になってはいけないし、会社でもそういう上司がいたら部下は嫌んなっちゃう。そういう政治家や会社役員って沢山いるよね。

もうひとつ「忘れ物が多い。」と書かれていた。

教科書やノート筆箱・・・なにかしら忘れる。特に多いのが宿題だった。というより宿題は当日その授業直前に学校でしていたので、間に合わないことが多々あったというのが生徒である私からみたときの実情だ。宿題を英語でいうとホームワークというが、家に帰ったらランドセルを放り投げて近所の空き地に遊びに行くのが私のホームワークだったので、学校の宿題をやっている暇などなかった。そもそも教科書の勉強は学校でやるべきことだという信念を持っていた小学生だったのだ。

 

そういえば最近もの忘れがひどくなった。バイデン・スガ現象だ。

旅行先でバスの中にリュックを忘れたり、公衆トイレに入ってカメラを置き忘れてしまったりと、いまに始まったことではないのだが。財布を忘れたときにはそれはもう頭の中は大パニックになるが、財布の中身は大したことはない。

そんなこんなでベルト付き腰袋にそういう諸々のものを入れて出かけるようにしたら、これがとても改善した。忘れ物が激減したのである。なので出かける時の腰袋カチッ!は、いまでは欠かせなくなった。

 

そしてもうひとつ、ジーパンのケツのポケットにレジ袋をたたんで入れること。これを忘れるとイタイことになる。

先日、とある美術館に絵画鑑賞にいったときのこと。作品はどれも面白くためになり、絵描きはスゴいな~などと良い気分で帰ってきて、地元のスーパーで買い物を終えレジに並ぶそのときになって「あ!忘れた」と、尻ポケットにレジ袋を入れ忘れたことに気がつく。絵画鑑賞してそれまで良い気分の一日だったのが逆転して、なんだか惨めな気分になってしまう。

家を出る時に玄関のところでレジ袋をポケットに入れようとして・・・腰袋を装着していないことに気づき、腰袋を取りに部屋に戻り、そのときにレジ袋のことをすっかり忘れ・・・靴を履いて家を出てしまって・・・。こうなるともう鶏の脳味噌だ。(三歩あるくとすぐ忘れる)

忘れ物というのは、忘れ物に気づいたときに「とてもじゃないが生きていけない」ような気分になってしまう。前もって予感できないから精神的ギャップを生む。断崖絶壁から突き落とされる気分だ。あ~~!

自分に負けた敗者の気分でレジに並びつつ一枚五円のレジ袋に自分自身への怒りに震える手を伸ばす。いつもより五円多目の買い物代金を支払うという屈辱を耐え忍んで、家にとぼとぼ帰ることになる。なんという惨めさなんだろう。自分で自分が腹立たしい。クソー!

五円というお金のことではなく、ここでもまた「忘れて」しまった自分の情けなさに打ちひしがれてしまうのだ。

そういう自分を後日顧みると、惨めさという感情は消え、冷静になって思い出したときに五円という数字について無視してしまうのはいかがなものなのかと考えた。映画やビデオを巻き戻すような脳内感覚。

そして調べると、

貯金の利息

「1年を365日とする日割計算で、年2回、3月31日および9月30日を区切って4月1日および10月1日に元金に加えます。」

「0.100%」とある。

レジ袋代5円の利息を受け取るのには、どれだけのお金を1年間預けたらいいのかという計算。

仮に1万円を1年間預けると10円の利息が付く計算。

そうすると1年間でレジ袋2枚分の利息ということになる。

これを読んでる読者さんは、ご自分の預貯金に1年間でレジ袋何枚分の利息がつくだろうか。そして1日に何回買い物してレジ袋を何枚買うだろうか。

レジ袋に限らず、家に持ち帰ったらゴミにしかならないようなもの全般について考えるとどうなるんだろうか。

 

それにしても私の場合、1円以上の利息をもらったことがない通帳を見返してまた愕然としてしまう。

こんなこと調べなければよかった・・・

 

 

 

 

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