なぞるとか辿るとか追跡するとか、そういうことが簡単にできる世の中だ。
もしあなたがスマホを「ピ!」とどこかにかざすだけで、誰かがあなたの行き先をなぞることができる。「ピ!」としなくてもGPSで知ることができる。便利だがおっかない時代だ。「ピ!」すると何に何円使ったのかも誰かに知られてしまう世の中だ。だから「ピ!」が好きな人は、裸で歩いているのと同じ。巷でいわれている個人情報など無きに等しいということ。
トレーサビリティ(英: traceability)とは、食品の生産者、生産日、生産方法などの生産についての情報や、どのような経路で運ばれてきたかなどの流通についての情報を消費者自身が確認できる仕組み。QRコードなどで読み取る。
今年を振り返ってみれば、私の場合、お米が商品棚から消えその後新米が出回ったと思ったら値段が高騰していたということが一番印象が大きい。
よくよく話を聞けば、本当はお米は足りていたが生産者や元卸が出し惜しみして値段が高騰したということらしい。米相場というものがお米の自由化での消費者にとっての悪影響を顕著にしたということなんだろう。
もちろんお米農家の収入が低すぎたということもあるようだ。
消費者からも生産者からもお米の行方をなぞることができるとどうなるだろうか。
自分で作ったお米がどこへどう流れていくのかを生産者が知り、消費者もどの生産者からどういう流通経路を経て自分の口に入るのかを知ることができるようになる。
その流通過程で、お米の値段がどうやって吊り上がっていくのかも双方が知ることができる。人の生き死にに関わるような主食に対してはそういったトレース機能を持たせることが必要なのではないかと思う。
顔が見えないとアクドイことをする人は多い。顔が見えるようにしたら、それほどアクドク儲けるようなことはしないだろうし。
ITだなんだといっても所詮は道具に過ぎない。道具は使い方次第ということだろう。丸裸にされるべきは私たちではなく、公明正大(公明正大とは、公平で正しく、やましい所がなく、堂々としている、という意味)であるべきモノ。
この国のオエライ人々はそういうことを真面目に考えていない。ITといいながらITオンチばかりだからなのだろうか。なので消費者も生産者も自ら考えることが自らを守るということになる。そうして多くの人々が欲すれば、欲するというのはそれが「ニーズであり需要」だから、それは必ず実現されるはずだ。