jan の断片

 

2024 11/04  23:20

 

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2024  10 22  08:33memo

引っ越した先の小学校

受験組とそうでない組の放課後の草野球

転校生として見た違和感

教室からの早抜けテストは好きだった

仲間じゃないと感じた瞬間

転校前の小学校で相棒と二人の大作戦

最後まで時間いっぱいまで考え見直す忍耐力と・・・公平性

持って生まれたものと後発的なもの

三つ目が通る、009の001

 

2024  07 10  06:18

高校の卒業式を10日後に控えて、何を思ったのか家出をした。その理由を思い出そうとしても思い出せない。近所の友人の家にころがりこみ取りあえず卒業はしたが、そのままずっとそこに厄介になっている訳にもいかず、日雇のアルバイトを始めた。

大阪の京浜地帯の石油精製コンビナートや化学薬品工場などで機器のメンテナンスというと聞こえはいいが、装置をばらして部品を整備してまた組み立てるという仕事だ。紙のつなぎを着て防毒マスク(事故の起きた原発の作業員と同じ格好)で触媒をドラム缶に詰める仕事などもした。タコ部屋のような旅館に宿泊していた。

数か月の出張で少し貯まった金でアパートを借りた。四畳一間の共同便所。川崎の京浜地帯で同じような仕事をしていた。

新宿のディスコで友人と飲んでいると、友人の後輩が四五人入ってきた。彼らはその辺で釣ってきたのか、やはり四五人の女性を同伴していた。意気投合して同じボックス席で飲んだり踊ったりして遊んでいた。その後、その女性の中のひとりが川崎のアパートに通ってきていた。

アパートにくると彼女は私服に着替え、セーラー服をハンガーにつるした。目黒にある女子校の生徒で二歳年下だ。けど初めての女性だった。壁の桟に釣り下がっているセーラー服。それまでにない不思議な感覚。

話しは飛ぶ

武蔵小杉の実家から渋谷経由で代々木で中央線に乗り換え信濃町の専門学校へ通う。駅を出てとある教団本部の建物を過ぎ一つ目の角を曲がったところにある。入学式、現役高卒というのだろうか、ほとんどがついこのあいだ卒業式を終えたばかりという制服臭が消えない中に、異質の入学者少し擦れたやつら、一年社会勉強してからの俺と同類のやつが数人いた。一人は俺より一つ年上で、羽田で整備工をしていたという。もう一人はその後銀行員の彼女をつくり二人で石川へ引っ越して料理屋を営んでいるらしい俺よりませたひとつ下だ。

信濃町駅方面から神宮外苑に入る端先に定食屋があってそこで昼飯を食う。チキンカツ定食、生姜焼き定食500円だったか。三人とも金が無いから都度貸し借りしていた。こういうのって長続きはしない。

俺は渋谷道玄坂の京王線のガード近くにあるカラオケパブでバイトを始めた。時給700円くらいじゃなかったかな。1Fは二つの丸いカウンターでカクテルを飲める。2Fはカラオケを楽しめるという店だ。こう言っちゃなんだが俺は器用なので、即実践で使えるバイトだ。カラオケ司会もバーテンも厨房もこなした。三ヶ月くらいから時給は徐々に上がっていった。仲間のひとりをバイトに誘ったが、そいつの方がある意味器用だった。

近くにあるDKBの女行員が足しげく飲みに来る。銀行員というのはストレスが溜まる仕事のようでその集団は酔うにつれ、目に本当の人格が現れる。その中にひとり、その中に痩せぎすですらっと足の長い俺好みの女性がいた。

話をまたすっ飛ばすが、彼女とやつはいつの間にかいい仲になって、専門学校途中で石川へ旅立った。

 

壁にハンガー掛けされたセーラー服は、何かの絵画を飾ったような不思議な感覚だった。

四畳一間のアパートのベッドで抱きしめていた。路地奥のアパートはひっそり静まり返ってそぼ降る雨音が二人を包んでいた。表通りに車の停まる音がした。俺は直感して彼女を押し入れに隠した。誰かが階段を昇ってくる。ドアをノックする。

俺の名を確認しドアを開けるようにと低い声が言う。

「捜索願が出ていますのでご同行を」

約半年間の刹那的自由は終焉した。彼女とはそれきりになってしまった。

それ以来、幸町のアパートには帰っていない。

 

飛び飛びで書いて、後でなんとか調和できるかどうか。

 

電通の夜の巣窟と信濃町

ミワbuilding

秋葉原駅の空調設備

道玄坂のアダルトショップ

お台場のテレコムセンター

霞が関経産省ビル

年末の郵便集配所

やくざのアルバイト

蒲田の不動産屋

株式会社ヤキム

分倍河原の面接官とラフォーレ原宿横から三田の病院へ

.com

チントンシャン高1の夏

Woo-ah, side chorus Dreem girls(Answer to love)

プリンスのK’s way その後の曲解LGBT そしてMJと(“We have name J”  blog) 遠方より届いたる手紙 雲から散った桜の花弁

遡ること戦国時代MORE 遺伝子の刻印(記憶)

 

 

2024 06 27  13:33

『ランダム』 こころくすぐる不規則なリズム

 

豊島区立熊谷守一美術館

ついこの間、関内駅近くのギャラリーで個展をしていたイタリア在住の女性画家と話しをする機会があった。

彼女の描いた街の雑踏に、ランダムを意識しているかと聞くと、当然それはしているということだった。

イスラムモスクにある規則的な抽象はそれはそれで美しい。

「人為的なランダム」という表現が文法として正しいかはさておき、抽象絵画で不規則なランダムにこころ惹かれる。

熊谷の晩年の絵はまさに枯れた絵(余計なものが究極的にそぎ落とされた絵)で、そこに意図的なランダムがここちよく描かれている。そう私は感じた。

 

そうして今度はここ

ちひろ美術館・東京

http://chihiro.jp

 

ここにもランダムが描かれている。

 

熊谷守一といわさきちひろ

いろいろな意味で対照的な絵だが、どちらも美しくこころ打つものがある。

ランダムはその人だけの、いわば個性だから誰も真似できない。

それでも感性として持ち理解し表現する若い絵描きがどこかにいないのかと思い、それなら探して歩こうかなと思う。

AIではできないことだ。そう言い切れる。そういうセンサーをつくれないから。

 

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2024 05 27  16:04

fairy / elf  妖精

ここのところ約20年、妖精と出遭う偶然が重なる。

しかし、もしかしたら、それ以前に気づかなかっただけなのかもしれない。

幼い頃、踏切のすぐ手前にあった駄菓子屋に行くと店のおばさん以外に誰もいない。優柔不断な私が、メンコにしよっかな、それともきなこあんこ玉にしよっかな、それともあんず、いやベーゴマ、いやまてよ・・・

そうしているあいだに駄菓子屋には子供で満員になっていた。そういう偶然ばかりがつづくと不思議でならない。

偶然は、七夕の夜空に横たわる天の川の川底に光る砂金のような無数の輝きのように、その中のたったひとつのひかりの粒が、たまたま私の目の前に落ちてくるような、気が遠くなるような「有り得ない確率」のことだ。

しかしその「有り得ない確率」である偶然が度々重なるという現象は、そういうのは「必然」というのではないのかとやはり20年くらい前に書いた。

そしてそれはこれを読む貴方のにももしかしたら起きているのかもしれない。スマホやテレビの中にではなく、君の現実に起きているのに気づかないだけなんじゃないのか。

 

この蝶はなんていうんだろうか。図鑑で調べるのが苦手だ。知っている方は是非コメントをください。

 

綺麗。小雨振るきょうの自宅近く

 

羽を傷つけながら遠くまで合いに来てくれたのかな・・・

 

ランダム random

絵画ではrandomを恣意的な構図として描くが、randomにあるリズムがひとを引き付けることがある。それは作家の技量でもある。AIでは決して出せないrandomなのだ。偶然と必然をひとの感覚で理解する。

 

 

 

 

 

2024 05 25 15:25

驚愕の訪問者

とうとう玄関の前までやって来た!

 

 

近所の公園ではたまに見かけていたんだが、玄関の前まで来てくれた。なんだか嬉しい。

 

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2024 05 24  10:00

採れたてのそら豆

日帰りで伊豆へ散歩に行った。昨日は薄い曇天だったが歩いていると汗ばむ気温だった。

韮山にある「江川邸」を見学するのが目的だ。駅から歩いてもそう遠くない。横浜から見る富士山とは格別の姿も見える。屋敷についての詳細は書かないが、江戸幕末当時、そこに住む人の営みを想像するのは、歴史を記録文書などからではなく肌で感じることで、現代の自分の生活様式と比べてどうなのかと振り返ることにもなる。

長崎出島からの蘭学と、当時のオランダのヨーロッパ諸国の相互関係などもその後のこの国に多大な影響があるようだ。

あの建物と、ナントカハウジングのモデルハウス展示との違いはいったい何だろう。

そういえば、屋敷を修繕するにも職人(大工や畳職人)が少なくなっているようだ。昔の建造物を残すということは職人技を残すということでもあるようだ。あの建物は機械では造れない。森林も豊かでないと造れない。

三島で乗り換えのついでに商店街(参道)をぶらぶらして急遽立ち寄った三島大社だが、この珍客に出迎えがいた。

  

なんか社殿より威風堂々って感じでちょー可愛いー

帰りがけにそら豆を買った。バラの花が咲いている店だったが、今朝採れたてだという。今年初物として土産にした。

早速茹で食べてみる。新鮮なそら豆は、花の香りがほのかにする。そら豆の白い花の香りなのだろう。

 

 

 

2024  05 12   11:20

非情について

ここ数日、初めて夏目漱石を読んでいる。

「坊ちゃん」「吾輩は猫である」そして「夢十夜」いまは「草枕」と読み続けている。

私が読み取りたいのは当時(明治時代)の人々の心象風景と実際の風景だ。こういったものは登場人物の会話や作家のト書き、行間などに隠れているものだからじっくりと読む。元々遅読なのに益々読むのが遅くなる。

 

生まれたときが悪いのか

それとも俺が悪いのか

何もしないで生きていくなら

それはたやすいことだけど

これは非情のライセンスという昭和のドラマのエンディングの歌詞だ。

この頃はまだ携帯電話などなく、彼女と話すときには家の電話ではなく公衆電話を使っていた。家の固定電話でデートの約束などした場合、どういうわけかタイミング悪く親から用事をいいつかってしまったりする。とても非情な感じではあった。

””

「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

「・・・

俗念を放棄して、しばらくでも塵芥を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少なかろう。どこまでも世間を出ることができぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱することを知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シュレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。

うれしいことに東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東離下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向こうに隣りの娘が覗いている訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は『不如帰』や『金色夜叉』の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、礼儀で疲れ果てた後、すべてを忘却してぐっすりと寐込むような功徳である。・・・」””

 

せっかく解脱したものを最近になってまた元に戻ってしまったんじゃないかとも思うけど、それも「とき」の非情というものなんだろうか。

長年といっても20年弱で、ストイックにチャリ漕ぎすると自然をそのまま感じることができるようになった。風をそのまま揺れる樹々をそのまま感じる。日差しに輝いて美しい。人の感情の入り込む隙間はそこには全くない。だから美しくだから非情なのだ。そしてそこから学ぶことは多い。

 

 

2024  04 28  12:00

LOVE SEXY

コピー防止コードが埋め込まれていない頃の音楽CDアルバムが200枚くらいあって、最近それを聴きなおしている。

みんながいつも見つめているあの小さな箱で一曲毎にダウンロードして聴いているのとはちょっと違う。

以前こんな不思議なことがあった。

CDプレーヤーが、頭の一曲目しか再生してくれないという現象が起きて、なんどもセットし直したがその怪現象は改善されなかった。

そこでハタと思いついてこのCDアルバムをそのプレーヤーにセットした。

メタ・データというのだろうか、全部で9曲の音源が全てデータ的に繋がっている。音楽としてではなくデータ的に繋がっているので、ポンコツCDプレーヤーは全曲再生した。

そういう試みは知っている限りこのCDアルバムだけ。ビートルズはいろんなことを試みたけれど、これはやってないように思う。

Lovesexy

プリンスの身長・体重と同じくらいだ。
https://world-note.com/prince-height-weight/

マイケル・ジャクソンも小柄だし、省エネ・ボディということなんだろうか。

 

考えてみたらこのページはこのCDアルバム形式を模倣していることになる。

記事別になった頁は https://jannmu.com

全体として国外からのアクセスが圧倒的だし、円安なのでもう少し構成が整ったら有料化しようと思っています。

生活保護を受けながら20年くらい無料で書いてきた。無料だとなんだかモチベーションが保てないということが分かった。生活保護を脱出するという絶好の機会なのかもしれないと自分の尻を叩いてみようと思う。

 

 

2024  04 25  13:00

小倉・博多・宇部

小倉の夕食はこじんまりとした居酒屋でとった。

この時期に茗荷を食べられるというのは乙なものだ。揚げ出し豆腐や牛筋煮込みにさりげなく入っている。

料理に箸をつけながら、そういえば私が以前取材した地元の農家では、畑でわざわざ育成しているというのではなく、庭先に勝手に生えてくるという感じで驚いたのを思い出した。

美味しいものは人の心を豊かにしてくれるし、味や食材にまつわる個人的な記憶を呼び覚ましてくれるもののようだ。

いわしのぬか炊きという聞きなれない料理も食べた。小倉駅についてホテルまで商店街を歩いたが、日曜日だというのに殆どの店のシャッターが降りている。地方の駅前商店街にはよくあることだ。ぶらぶら、きょろきょろしていると「ぬか炊き」という文字が目にとまった。そして居酒屋のメニューにもあったので思わず注文したというわけだ。

美味しかったとだけ書いておこう。

バスに乗ると「文字一丁目」というバス停がある。アナウンスは「もんじいっちょうめ」である。門司港は「もじ」と読むらしい。地名というのも面白い。埼玉県はなぜ「さいたま市」などと、仮名づかいをしたんだろうか。地名は不思議な事が多い。

不思議と言えば、「旦過市場」というのが駅前商店街の先にあって、読みは「たんが」。戦後の闇市だったものがこれまで商店街として、市場とともに続いていると地元の人から聞いた。そして火事が続いているらしいことも。開発の為の地上げで不審火が多いらしいということも。あくまで噂として。

なぜかあの商店街には特定の政党のポスターだけが貼ってある。これも不思議なことだ。

フレンチシェフに教わった「ピンクペパー」というスパイスも初めて口に入れた。

日常から数日抜け出して非日常を見聴きし味わう。そのことで日常を思い返すというのは、どうやら私の生活には必須だと改めて思う。不眠症の私が、よく眠れた数夜でもあった。

 

後ろから写した「旦過市場」

火事の跡が生々しい。

 

博物館展示「筑豊炭田」から石炭輸送

殉職者慰霊碑

炭鉱で殉職するってどういうこと?

おまけ

小倉駅前のストリップ小屋通りで撮影

まぁ、よそ者が来て何言ってやがると地元の人は思うかもしれないが、開発するにせよなんにせよ、闇市といわれる市場がどうして当時必要とされたのか。すべては戦争にその理由があるのは間違いないだろう。戦争の責任をこの国や地方は国民・住民に対して未だに取っていない。そのことを若者に伝える者もあまりいない。それを基本に考えるべきだと私は思う。

 

広寿山福聚寺という寺がある。私が訪れたときには誰もいなかった。

静まり返った広い境内に鳥たちの囀りと樹々葉擦れの音、山に掛かる霧。

横浜ではもう無理な、あるべき非日常を満喫した。

 

 

 

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2024 04 19   10:50

ヘソと耳の奥

風呂に入る前に綿棒でヘソの奥と耳の中を少し擦って臭いを嗅ぐ。臭いがその綿棒は風呂上りまで捨てずにとっておく。

風呂に入ってヘソと耳(たぶ)を安物の石鹸で洗う。新しい綿棒でヘソと耳を同じように擦って臭いを嗅ぎ比べてみる。

ちょっとでいいことが分かる。(何が?)

答えは下のリンクを読んでみてね。

 

「香害」

香りの害について、パターンを変えて書いてみた。

どちらがお気に召すかは読者しだい。どれもほんの五分くらいで読める。

 

15秒CM用

distance

 

報道用

香害110番

赤ちゃんのオシリがやばい!

次回更新は21日の21時すぎです。https://jannmu.com

 

 

 

 

信号機

2024  4/3  18:30

都内や横浜周辺の信号機が徐々に交換されて新しくなっている。新しい信号機はLED電球が使われている。街路灯などもLED照明に交換されてきている。

LED照明はこれまでの発熱電球や蛍光灯とくらべ随分と電力消費量が少なくてすむ。自宅の照明も一時期LED照明に交換した。

交換したLED電球はそれまでの電球よりもとても高価だ。しかしLED電球は長持ちするということなので、いい加減な気持ちで交換した。

路上で行われているデモンストレーションやイベントなどの中継動画に映る信号機の光は高速で点滅している。チカチカチカと高速で点いたり消えたりを繰り返している。深夜の裏通りでゆっくり点滅している信号機も、実はデジタルな目を通すと高速点滅しているんだということがわかる。

生活に使われている電気は全て?なのかほとんどが「交流」だけど、発電所で作る電気は直流なので途中で直流電気を交流電気に変換器を使って変換する必要がある。「交流」電気は僕ん家の電球とお隣の電球との明るさを同じ明るさにする電線のつなぎ方だということは、小学生のときに豆電球を使った実験で知っている。直流繋ぎは電源に近いほど明るく遠いほどくらくなる。

信号機が発電所に近い(地方)ほど明るく遠い(都市部)と暗いのでは困ってしまう。でも信号機の数は田舎と都市部で比べたらどうだろうか。ということは学校では教えてはくれなかった。

古い信号機のときに電球だけを交換しているのを見たことがない。あれ?という感じだ。

見たことがないというのは、生まれてこのかた見たことがないということで、信号機の交換は数度見たことがある。あれ?って感じだ。

高速点滅は肉眼では見えないが感じている。はっきり言うと目に悪い。なので自宅ではまた古い電球に戻した。実は古い電球も点滅しているしパソコンのモニターだって点滅している。なので紙の本を読むよりも目に悪い。蛍光灯も点滅している。でも発熱電球は点滅しない。光源が熱なので光の点滅はない。

 

ところで信号機はいつなんのために交叉点などに設置されるようになったのだろうか。小学生低学年のころに学校にお巡りさんがきて、交通安全指導というのをやった。校庭に白線で交叉点を描いてそこにミニ信号みたいなのを置いて教えてくれた。

「まず交叉点を渡るときには右を見て左を見てもう一度右を見て」車がこないか安全かを確かめてから手を挙げて横断歩道を渡りましょうと教わった。(日本の場合、自動車は左側通行だから、道路のどちら側から渡っても自動車は先に右からくる)

当時と現在では交通量が圧倒的に増えた。増えたのに肉眼(自分の目)で確かめもせずに信号機に制御されている人類はオバカになっている。右を見ても左を見ても、もう一度右を見ても自動車などこないし安全なのに信号機が赤だからという理由で青になるのを待っている、制御されたオバカなのである。

信号機が表現するのは、30秒くらいに一度ずつ、「数秒間で青から黄色へ黄色から赤へ赤から青へ」を繰り返しているだけで、安全を確かめてくれているわけではない。

私は信号機の記号論的色彩表現を守りたいのではなく、自分の身の安全を守っているだけ。身の安全でなく信号機を守る君たちは、やはりオバカであるということだ。ましてやスマホ見ながら歩いてるのは、それだけで他の歩行者に迷惑だ。自分からぶつかってきておいて文句言う人もいる。そういう人は左右はおろか信号機すら見ていない。何を見て立ち止まるかといえば他の人。他の皆さんがそうしているとその人もそうする。日本人に沁みついた全体主義の悪しき慣習だ。(いい歳こいて小学生じゃあるまいし!バカ!!!)

ブラウン管画像でもデジタル画像でも点滅に変わりはない。なので動画を観ると目が疲れる。自然を人間の目で見るのは、時間軸としてずっとつながっている画像だから目に優しいというわけだ。これがロボットにはできないこと。

 

*このサイトをご覧の方はもちろんそんなオバカではないと思いますので、「あなたに言ってる訳じゃない」ということをご考慮くださいね。

 

 

2024  0301 11:00

メモ

暮れの年賀状集配所が仮設され背後に郵政民営化を叫び叩き売りが行われようとしていたときに誕生した命。

どしゃぶりの中、停まった車にぶつかった自転車乗り。

自転車が自転すると倒れずに走ること、独楽が停まると倒れることは説明できるが、何故倒れないのかを未だ説明できない物理学。

秋葉原駅の構内空調設備工事の帰りの改札口ですれ違った。

本格的な断片整理を始めようかと。

スポットライト

聖なる”何か”と宗教はどちらが先か

襟音

信号はなぜ必要で、いつ生まれたのか