映す鏡をどこに求めるか

2024 09 25 9:00

 

今年の夏が終わろうとしている。

昨日、一昨日までの最低気温は二十六度を切らずに、寝苦しい夜が続いていた。夏の最高気温よりも最低気温が気になっていた。一転、たった一日で最低気温は二十度を下回った。少し肌寒い。夕べは冬の掛布団を押し入れから出した。

例年、この季節に風邪をひくことが多いので気をつけなくては。

 

自分探しとよくいうが、自分に合う場所や仕事を見つけることだと思っていた。

どこに行こうと外国に居ようと、いつも自分はついてくる、そこにいる。自分から逃れることはできない。自分から逃れようと思うなら、逃れたい自分を変えることでしかその術はない。いったいどんな自分からどうして逃れたいのか。そういう内面思考の切り替えが、どうやら鬱病の改善に役立っている。結果としてそういう気がする。

十五年くらい前に書いたことだが、

私についてあなたがそう思うなら、私はあなたにとりそういう人です。私が女性っぽく見えるならそれは合っている。私がいい加減な無骨者に見えるならそれはあなたにとっての私です、正解です。私が病的神経質に見えるならそれがあなたから見た私ですので正解です。

人は間合いをそれぞれ持っているから人間なのではないのか。その間合いは人それぞれに違うものだ。

他者と私との間合いは、他者によってそれぞれ違っている。それはそれぞれの内面に直結しているものだ。だからそれぞれ違う。

つまり自分の内面を客観的に見つめることで相手を客観視することができるはず。相手がいる、相手もそれぞれ違うからそれを第三者が客観視したものと、自分が客観視してみえることは、たとえ同じ事象として捉えても万事そうなるとは限らない。

簡単にいえば、こういうことを言われると私は滅入るとか、そういう態度を相手がとると私は逆上するとか。そういう風に自分の内面を観察すると、自分の弱さとか無神経さ幼さ未熟さなどが理解できるようになり、そういう自分を変えようという思考が働くようになる。鬱のとき、躁のとき、極端に違う自分の内面反応を知らないことには直しようがない。なにに関しても自信の持てない自分が嫌いだったから、そこからずっと逃げようとしていた。

自分に自信を持つというのは外見を繕って強がってみせることではなく、自信の無さや弱さがどこからくるのか、自分を観察することだ。

知ったときに、客観的に自分の内面を観察することができたときに、「あ、これが自分探しだ」と気づく。どこかの場所ではなく、だれか相手(他者)でもなく、自分の内面足元に自分が居るというわけだ。

そういう意味で自分を映す鏡をどこに求めるかということだったのだろうと振り返る。

人は変ることができる。

 

2006/11/19
mirror
うちは僕と妻と息子の三人家族だから、誕生日は忘れない。
僕への誕生日プレゼントは、毎年息子が描く僕の顔。それだけ。息子にとって、父親の僕がどう映っているか知りたいから。鉛筆でチャチャっと10分くらいで書いてもらう。
ここ数年、彼が描いた僕の顔は暗い顔してる。
息子には去年猫をプレゼントした。近くの動物病院で生後3ヶ月くらいのメス猫をもらってきた。その日を猫の誕生日にした。名前は「チビ」。とてもかわいい。

投稿日 2006/11/19 Feel something | リンク用URL | コメント (1) | トラックバック (0)

 

 

コメント
見たり、撫でたりする生き物が大きくても小さくても可愛いです。 人間味です。
生後3か月のチビちゃんの一生、可愛がってください。
猫を初めて飼った経験から・・・猫が便器と猫砂になれること、毎日の掃除がたいへんですが大事です。新しい猫砂を入れると排泄量が多い。気持ちがいいらしい。
食事は総合栄養食と明記しているドライフードを子どものときから与えています。朝夕2回の食事です。水は上水ですが毎日取替え、たっぷり与えています。
子猫時代は毎日が運動会で柱に上ったり、爪を研いだりして3本の柱は2メートルの高さまで爪あとが残っています。畳でも爪を研ぎます。
雌は生後6か月頃になると発情するものもいるらしいことを知り、6か月で避妊手術、雄も去勢しました。繁殖の可否の判断が大事です。
雌は一度に4、5匹生みますから・・・
里親が見つからないのが現状のようです。
投稿 ヨシキリスズメ | 2006/11/19 17:20

 

 

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